「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
不登校でも今が大事
年々学校に行けないと悩まれて
受診される方が増えてきています。
学校に行けない(行かない)理由は
ひとりひとり異なり
様々だと思います。
受診されれば
からだの不調を探すために
診察をしたり
お話を聞いたり
生活を一緒に考えたり
できることを
こども達と一緒に考えます。
一緒に考えながら
ふと思うことがあります。
こども達自身でも
学校に行けない(行かない)理由が
わからないのではないかと。
ですから
お父さん、お母さんにお願いしたいことがあります。
お子さんが学校に行きたがらなかったら
「今、この子は
学校というところが合わないんだ。
行きづらいんだ」と
理由ではなく、行けない状況なんだと言うことを
受け止めてあげて下さい。
その時、大事なのは
今、学校に行けなくても
「何とかなる」「大丈夫だ」という
メッセージをこどもたちに伝えることだと
僕は思うのです。
こども達には、未来があります。
僕たちおとなは
こどもたちの未来が輝いていて欲しいと
願いっていても
こどもたちが生きているのは
未来ではなく今この時なのです。
ですから
こどもたちの未来を応援するのではなく
今を応援してあげればいいのです。
何ができるか、何をするかではなく
今、ここにいることを応援するのです。
そして
生まれてきてくれてありがとう
あなたがいてくれるだけで、しあわせだと
伝えて下さい。
どんなに悩んでるあなたでも
今いてくれるだけで
しあわせだと伝えて下さい。
その思いが伝われば
きっとひとりで歩き出してくれるはずです。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
ひとりでも多くの方のお役に立てることを願うばかりです。
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いのちのバトン
最近、映画「みとりし」の原作者と
知られている青木新門さんの言葉に
触れることが多い。
青木新門さんは
納棺師として
これまでに3000例のお亡くなりかったの
納棺をされたそうです。
死の時に立ち会って
仕事をしないということは
その仕事に対して周りの目が厳しく
例え家族であっても
理解が得られないようだ。
新門さんも
親戚のおじさんから、
恥さらしだと罵声を浴びせられ
縁を切られるような状況になったようです。
でも
死の瞬間に立ち会っているからこそ
感じることも多いようで
死を迎えられた場所
そして
死の瞬間に偉大なる光を感じられ
死の瞬間に光に包まれると
穏やかな表情になり
憎まれていたおじさんも
臨終の際には涙を流し感謝の言葉を発したそうです。
納棺師をして
死を死者の気持ちを受け入れ
その気持ちを未来に繋ぐことも大事な仕事だと
ずっと「いのちのバトンタッチ」という題名で
講演活動をされているそうです。
そこで語られている言葉を
紹介します。
「人は必ず死ぬから
いのちのバトンタッチがあるのです。
死に臨んで先に往く人が
『ありがとう』と言えば
残る人が
『ありがとう』と応える
そんな一瞬のバトンタッチがあるのです。
だから、目を背けている人は
見損なうかもしれません。
そんなバトンタッチがあるのです」
青木 新門
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
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メタトロンで肉体改造
メタトロンを続けていると
知らず知らずの内に
必要なからだができあがり
突然事故に遭っても
対応できるからだに
なっていることを
教えられました。
その患者さんは
少年時代からずっと
野球をやっている方。
ご自身は学生時代は
もちろん野球部所属。
社会に出てからは
少年野球でこどもたちに
野球の指導をしながら
自らも
野球チームを作って
シニアの大会に未だ出場しているという
文字通り
スポーツマンの患者さん。
ずっと運動を続けていても
からだの衰えを感じることも増えてきたようで
こどもたちを指導するためにも
元気にからだを動かすことができ
まだまだ
こどもたちに負けない体力を
つけたいので、メタトロンを
健康目的で定期的に続けられています。
ずっと
こどもたちと一緒に
走り回りたいという気持ちが強いことが
診察の度に感じるのですが
人間の肉体には
時間的変化が起こるのが自然の摂理。
その摂理を受け入れ、従って生きることも
大事なことと
メタトロンを受ける度に
いい年の取り方があることを
お伝えしいたのですが
いつまで若いときの肉体のままでありたいことを
思うのは
人間の究極の夢ですよね。
でも、メタトロンをしてることで
その夢を実は叶えてくれていたんですね。
その患者さんが
メタトロンを受ける前の週末
ご自身の野球の試合に
選手として出場したときのことでした。
緊迫した試合のなか
ご自身が塁に出ていて
自分がホームインすれば
さよならだと言う場面でした。
バッターが外野にフライを打ったのを確認し
2塁にいた患者さんは
猛ダッシュしました。
三塁ベースを回ったとき
コーチは、走れのサイン
患者さんは勝利をめざして
スライディング
・・・しかし・・・
そこにいたのは
ホームではなく
大きな壁のように目の前に行方をはだんだのは
体重100kg異常あるような
巨漢の捕手でした。
患者さんは
猛スピードのまま
その男に突っ込み、顔面から飛び込んだので
気づいたときには
目が腫れ、鼻血が止まらなく
目も当てられないような
顔に変わってしまったようです。
それは
メタトロンを受けた5日前のこと
診察時には
右目の下に傷がありましたが
その衝撃のひどさは
話を聞かないとわからない状態でした。
でも、本人は
今日のメタトロンで
どんな状態かとても気にしていたようです。
メタトロンの結果は
骨も筋肉も皮膚も
全く悪い状態はありませんでした。
もちろん
衝突したことを示す所見は
全くみられません。
それどこか
胃も肝臓も腎臓も肺も・・・
からだのどこを診ても
異常はないのです。
これまで
こんなに良かったことはないくらいです。
けがの状態どころか
最高のコンディションであることを
メタトロンが教えてくれました。
メタトロンは
患者さんの若返る体力を望んでいたけど
今の肉体で
試合もできて、突発事故にも耐えられる
最高のからだに改造していてくれてたんですね。
メタトロンは
あなたの望むからだを作ってくれるのです。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
ひとりでも多くの方のお役に立てることを願うばかりです。
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物語を語って下さい
目の前の患者さんに対して
最善の治療をするために
我々医師は日々努力していますが
病気の種類も含め
接する患者さんの症状、訴えは
多岐にわたり
医療も進歩する中で
患者さんに常に最高の治療をするためには
医師ひとりの経験だけ
医師ひとりの研究勉強だけでは
十分とは言えません。
そこで
皆の経験した治療法などを
分析して
病気に対する
道標を科学的根拠に基づいて
示したのが
EBM(Evidence-Based Medice)と
いわれるものです。
このEBMのおかげで
どこの病院であっても
医師の自身の経験に左右される治療を
患者さんは
受けられるようになりました。
しかし
最近は、EBMにこだわりすぎ
EBMが標準治療だから
EBMじゃないといけないという
風潮が強くなってきた気がします。
ここで
間違ってはいけないのは
EBMはじゃないといけないわけでは
ないので
EBMに縛られることは
ないのですが・・・
この治療に当てはまるように
治療を進めてしまう
傾向に陥りがちです。
患者さんの病気になった理由、経緯、症状
そして
病気についてどのように考えているのか
どうしたいのかなどの
患者さんの思いは加味されずに
基準とされる血液検査、画像検査などの
結果のみで判断、実施され
目の前の患者さんのことより
データーばかり見ているという
批判につながっているのでは
ないでしょうか?
ナチュラルメディカルセンターでおこなっている
メタトロンでは
みなさんに1時間の時間を作ってもらって
施行しています。
またメタトロン中であっても
特に患者さん自身の行動を規制することも
ないので
メタトロンの結果を含めて
患者さんと様々なお話をします。
毎日どんな生活をしているか
何が心配かなど
ご自身のことだけでなく
ご家族のこと
お仕事のこと、コロナウイルスについてなど
お話の内容は
多岐にわたります。
実は
この1時間のお話は
とても重要なんですね。
この会話から
患者さん自身が抱えている問題
どう生きていきたいか
何を求めていることが
わかることがあります。
そうすると
例えEBMに添った治療をおこなっていても
根本治療とはとはならず
EBM的治療だけでは
根本的治療が難しいことを
感じます。
その様に感じるのは
決して僕だけではなく
最近ナラティブ・ベイスト。メディスン(NBM)も
必要であると訴えられる医師も
増えてきています。
NBMは
患者さんが語る物語から
病気になった理由、症状、考え方などの
患者さん自身が抱える問題を
全人的に把握し
そこから
最善の治療法を考えていこうという考え方が
出てきています。
病気の原因は
患者さんひとりひとりで異なります
ですから
治療法もひとりひとりことなります。
ですから
NBMも加味して
治療をおこなう必要があると思います。
僕は
これからも
患者さんに対して
いつもOPEN HEARTで
患者さんの言葉にいつも耳を傾けられる
医師でいようと思っています。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
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メタトロンが教えてくれたこと~病がからだと心を操る~
病気が発症する前は
心の状態が
からだの状態に影響している。
つまり
病気になる前は
心が主人で
からだがこころの指示のもと
動いていた。
それが病気になると
そのからだと心の主従関係が逆転し
だんだん
からだのほうが主人になっていって
こころがからだの指示にしたがうという
立場が逆転してしまうのだ。
先日
受診された高齢の患者さんは
何年ぶりに受診された。
数年前に
からだのしびれ、睡眠障害などの
症状があり
メタトロンも受けられ
1回だけの受診で
その後音沙汰のなかった患者さんだった。
この数年間で
良くなっていたら良かったけど
今飲んでいる薬を処方してくれと
受診された。
お話をきくと
睡眠障害は続いて
最近専門病院で
薬を調整してもらい
睡眠できるようになったが
その病院が少し遠方にあるので
お一人での通院が難しいので
ご家族の付き添いがないと通院ができない。
ご家族も
忙しく、近くの病院で
薬をもらえたら・・・と思って
思い切って当院を受診されたようでした。
今の薬で
眠れるようになったようだけど
今まで通っていた
病院にいけない理由があるようだ
話していると
それは、物理的理由でなく
不信感などの理由で
いけなくなっているようでした。
少しでも
力になれればと思ったが
今飲んでいる薬は
専門医でないと処方も難しく
その処方までの間に
医師の苦労の跡も
薬歴からも感じられ
僕ができること
しないといけないことは
処方をすることではないと
強く感じました。
患者さんは
眠れないという極限の
からだの状態が
こころをも支配し
こころがガチガチに硬くなり
自分を苦しめている。
からだに支配されている
こころを解放させてあげるないと
この苦しみからはずっと続く。
まずは
今の病院の先生に
こころをむけて
患者さんの思いを届けることから
はじめないと思った。
そのための方策を
いくつかお話して
僕ができる薬の処方をして
その日の診療は終わった。
数年ぶりに会ったこの患者さんは
人が変わってしまったようになっていた。
病気になると
こころも、性格も
病気の状態にあるからだに支配され
変わってしまうのだろうか?
この患者さんを診て
こころが先かからだが先かを
見極めることも
からだの支配から
こころを解放するのも
僕の使命だと思った。
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直観力を磨く
現代は多くの情報が
インターネットを通じて
多くの人が
簡単に受け取ることができます。
手軽に
情報を手にすることができるので
便利な反面
戸惑いを感じている人も
多くいらっしゃるのも
今の世の中の特徴だと言えるでしょう。
我々の受け取っている情報量は
時代ごとにに換算すると
平安時代であれば一生分
江戸時代であれば一年分の情報量が
1日に受け取ってる情報量と
言われています。
情報量はどれくらいか
わからなくとも
その量の多さは
現代人の誰もが感じていることでしょう。
現代の人々の生活は
江戸時代に比べものにならないぐらい
激しく、動いているいるので
生きていくために必要な情報量は
格段に増えているのも
確かでしょう。
しかし
全ての情報量が必要かと言えば
決して
そうだとは言えないでしょう。
莫大な量の情報のなかから
必要な情報をピックアップする能力
つまり
自分自身の直感力を
磨く必要がでてきています。
今必要な情報のひとつに
コロナウイルスに関することがあります。
ウイルスがめにみえにものであってり
まだ不明な点も多く
様々の専門家が各々の立場で
意見を述べられるので
全ての話に耳を傾けていると
文字通り目が回ってしまいます。
その情報を
自分にとって有意義かそうでないかを
ふるい分けるのが
直感力です。
直感力は
本来の自分、本質の自分に
訴え判断する力です。
その力は
自分のこれまで経験したの中から
判断するのでなく
潜在意識、超意識を働かせて
判断するのです。
脳の部分で言えば
論理的に考える左脳を使うのではなく
右脳で判断するということだと
思います。
このことを
自分自身の声、内なる声、ハイヤーセルフの声と
言えるかもしれません。
右脳に働きかけて
判断された自分の思いなのです。
その声を常識や経験に根ざした
左脳の働きで
右脳からの直感力にきずかずに
過ごしてしまうことが
多々あります。
右脳からの声は
いつも我々の耳に届いているのです。
それに
気づかないふりをして
我々は生きているのですね。
ですから
直感力を磨くために
①いつも内なる声に耳を傾ける
②その内なる声に従って行動してみる
③行動することで生まれた結果を
内なる声に従って行動した結果であると
自分の行動を納得する
と言う生活をつづけると
あなたは、直感力に従って生きられる
情報に振り回されずに
生きていくことができるのです
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
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メタトロンが教えてくれたこと~何に気をつけたらいい?
メタトロンでは
まだ発症していない
症状もないので
まだまだ未病の状態から
チェックしています。
未病の状態で気づき
改善することができれば
理論上は
死ぬまで元気に過ごせるという
ことになります。
でも
元気でないところが
あることをお伝えすると
みんな
「何を食べたらいいですか?」
「もっと、運動しないといけませんね」と
なんとかこの悪い状況を
脱しようと考えます。
僕は
メタトロンを受けて
注意点が見つかったときに
何かをしようとする前に
自分の状態を知ること
からだ自身の力で
症状をだすことなく
いつものように過ごせていることが
大事なんだとお伝えします。
からだが頑張ってることを
気づくだけで
感謝してくれることで
からだは喜んで
元気に過ごせるように
働いてくれるのです。
何もすることはありません。
今のからだの状態を
知ることが大事なんですね。
人間のからだだけでなく
いのちは
もともとあるがままで
完全な状態であるんですね。
ですから
人間の考えだけで
人間の浅はかかもしれない
思いつきの知恵で
行動した行為は
帰って、完全なるいのちの
完全なる力の妨げになることも
ないわけではありません。
「いのちは
無始より来りて無終に至る。
我を通じて、無限に広がり、
我を貫いて、無限につなる」のです。
元気な時も
病に伏した時でも
自らのこころもからだも
自然の思いのままに
生きていくことができれば
本当の自分に出会える気がするのです。
自分をよくする生き方ができれば
宇宙をよくすることにつながり
人のためになることをすることは
自分をも助けることになるのだと思います。
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期待してください
当院は
赤ちゃんからおとなまで
様々な年齢の方を対象としているので
外科的な処置が必要でなければ
診療をしています。
ですから
色んな目的で受診されてこられます。
主治医の先生が
お休みなので
いつもの薬だけ欲しい。
とりあえず今の状態を診てもらいたい。
コロナワクチンの時期なので
コロナワクチンだけでなく
ワクチン接種だけお願いします
などなど
当院の受診目的は様々です。
僕の目の前に
座った患者さんは
患者さんの目的が薬だけであろうと
100%、全身全霊を込めて
診察しています。
日頃診てもらってる主治医の先生ほど
患者さんのこれまでのことはわからなくても
今僕がわかる範囲で
できることをしよう
診察後
主治医先生の迷惑にならないように
診療をしようという思いで
患者さんを診させていただいていますが
・・・・・
患者さんには
当院を受診した思いはまちまち。
薬屋さん感覚で
この薬を下さいとか
注射だけでいいですとか
露骨にいわれる方もいらっしゃいます。
患者さんとの出会いも
一期一会かもしれないけど
いい出会いになればと思って
診療をしているのですが
診察室で
医者と患者という立場で
相対していますが
その前に
お互い人として
向き合っていることも
忘れてはいけないと思ってます。
もし、目の前の患者さんが
この先生は、偉大な人なんだ
この先生について行けば大丈夫。
この先生について行けば
頑張れるし
どこまでもついて行きます
なんて言われると
奇跡でも起こせそうです。
逆に
何か間違えでもしたら
糾弾してやる・・・なんて目でおられたら
萎縮して
いい診療なんてできません。
医者のパフォーマンスは
患者さんに期待されると
上がるんでスンね。
これは
医者だけではなく
学校の先生や塾の先生に
期待すると成績が上がるし
お父さん、お母さんや
ご夫婦でも相手に期待すると
期待した本人にも
結局いい結果を産むということは
心理学の世界では
よく言われることで
ビグマリオン効果と呼ばれています。
是非
この先生はいい先生だと思って
いただけると
僕の力は100倍にも1000倍にもなって
患者さんもっともっと良き方向に導けます。
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拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
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医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
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全人的に診療するとは
我々医師は、毎日
患者さんのからだを
毎日に診させてもらっています。
患者さんのからだを
診察するってこと
つまり病気を診るために
医師は
全てを全身全霊込めて
患者さんと向き合っています。
でも
医者も人間。
これまで生きてきた中で
様々な勉強、経験をして
最高の治療を提供していくために
勉強しています。
しかし医師も人間
医師それぞれ
考え方も違います。
色んな考え方に対して
医者はこうあるべきだと
医師を戒めるような言葉があります。
最近よく耳にする言葉に
「病気を診ず、患者さんを診なさい」
「全人的に患者さんを診なさい」と言われ
そうあるべきだと
僕も思います。
しかし
言葉で言うのは簡単でも
実際は難しい。
病気の痛み、つらさなどの
症状をこることは
医師として医師としての経験、知識を
駆使すれば
患者さんの臨むレベルの治療をすることは
可能かもしれません。
でも
病気をしたことによって
生活がどう変わったか
お金に困っている
ご家族が困窮している
職場や学校生活での苦悩
色んな問題が
病気になったことで表面化し
それが原因かもしれない
大事な事柄なのもわかる。
だから
病気を診るだけではなく
患者さんの生活、生き方にまで
意識を向けないといけないということを
僕は思うし
その意味で、「全人的」という意味は
理解できるけど
それを、僕ひとりの力だけで
解決することは難しい。
病気が治すためには
なんと言っても
本人の力、そして気づきが必要なのは
わかってきている。
生命を含めて
患者さんの苦しみの全てを
解除するのなんて、無理な話。
そんなとこができるのは
神様しかできないでしょう。
ただ医師として
僕ができることは医師の仕事は
検査したり
投薬、手術などの医療行為を
おこなうだけでなく
病気がよくなって
仕事も、人間関係も改善し
将来が明るくなることを
病気を診ながら
その患者さんの明るい未来を
祈ることが
全人的に診ることなんだと思う
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
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本物の味を知る
入院を経験したことのある方から
こんな話をきいた。
入院中
治療のため
絶食を強いられていた時期が
あったそうです。
絶食中
絶食後初めて食べるものは
どんな食べ物でも
どんなに美味しいことだろうと
思っていたそうです。
しかし
絶食後はじめて口にした
おかゆがとてもまずかったと
教えてくれました。
おかゆは
お米と水が大切なので
とてもシンプルな分
最高のごちそうになるけど
まずい食べ物になるのです。
その患者さんは
舌で感じる味覚の感覚が
絶食したことによって
磨かれ、敏感になったのです。
おいしい水、お米の味を
区別できるようになったのでしょう。
それからは
それまで嫌いだった野菜のおいしさが
わかるようになって大好きになったとか。
僕たちがおいしいと感じるのは
舌で感じた味覚に対して
驚きがあるときなんだと思う。
この驚きを産むために
最近テレビでは
魔法の粉とか、別の素材を使って
驚きのおいしさを演出しようとしているものが
増えてると
舌の味覚が衰え、
本物を知る感覚が麻痺してしまいます。
いわゆる
おいしさを手軽に感じるために
巷では
添加物が多く含まれる食品にあふれています。
実際
舌が元気だと
添加物が多いと
味が濃く感じたり、
なんだかその素材に違和感を感じて
食が進まなくなるのです。
おかゆでさえまずく感じた患者さんは
絶食したことによって
舌の麻痺していた感覚も
改善したのでしょう。
現代は
一年中、季節に関係なく
好きなものをいつでも食べられる
時代に生きているのはのは
しあわせなことでしょうか?
最近、肥満や腸の異常で
受診される方が増えてきている気がします。
自然にあるはずの
本物を取り入れていれば
こんなに今苦労しなくても
良かっただろうにと
食生活の話をききながら
思います。
今からでも遅くありません。
人の手のなるだけかかっていない
自然にある本物のものを
取り入れて生活して欲しい。
そのことをお伝えしたく
患者さんにお話しています
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