真実の医療」カテゴリーアーカイブ

学会参加で最先端の医療に触れる意義

コロナ感染も5類になって
コロナ前の生活に戻りつつある。

医学界でも、学会も対面で
行われることが増えた。

学会に参加する目的は
最新の医学の知識を得ること
今問題となってることをブラッシュアウトすること。
そして、なんといっても
ひとりで診療していると
ひとりよがりになりそうな診療を
見直し、頭を活性化するのも大きな目的。

以前に
谷口英樹横浜市立大学医学部教授の
iPS細胞を使った肝臓再生医療についての話
「ヒトiPS 細胞を用いた代謝性肝疾患に対する新規治療法の開発」
を聴く機会があった。

山中教授が発見したiPS細胞。
その素晴らしい細胞を人にどのように活用するか
それが大きな課題。
それをどこまで臨床的に活用されるかは
これからの医療発展に大きく関わっていること。
iPS 細胞を
細胞として移植した方がいいのか?
臓器として移植した方がいいのか?
そこがまだ定まらない中
谷口教授は
肝臓の芽として移植を提唱されていた。

体内で組織の芽としての細胞を移植して
その細胞が体の状況に合わせて
変化してくれることを証明して
今移植界で、脚光を浴び
今後を期待されている
将来肝臓病で苦しまなくてもよくなる?
日が来る日近い・・・と
ワクワクして聞いていたけど
ふと思った。

人が考えたように
肝臓の芽の細胞が、めでたく肝臓として
働くようになるには
細胞に生命の息吹を吹き込まないと
肝臓には変化しない。
そのために
“生命の息吹”
何らかのエネルギーが必要ではないだろうか?

それは
もともと持っている治癒力?
生まれた時に備わっている生命力?
そして治りたいという本人の気持ち?
治ってもらいたいという家族の思い?
そして、もしかしたら
まだ生きよという
“神の叡智”が必要かも。

再生医療の成功には
技術では計り知れない
まだ、人間が到達していない
大きな力が必要なのだとも
講演を聴きながら感じた。
だから
どんな時も奢ってはいけない。
ただただ、純粋に
目の前の患者さんの幸せを願う気持ちを
忘れてはいけないと思った。

学会に参加することは
思わぬ知識。知恵を授けてくれる。
からだが動くうちは
しっかり参加したいと思う。

☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
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あいさつ

あいさつと一言で言っても
時代や国によってもちがいます
あいさつは
人間が生み出した文化ではないかと
思います。
日本人のあいさつは
”おはよう””さようなら”などの言葉とともに
お辞儀を伴います。
言葉だけでなく
お辞儀などの動作を伴うので
その時のあいさつひとつで
相手に不愉快な思いをさせたり
相手にあいさつだけで気持ちが通じたり
あいさつをした数秒で
良くも悪くも、瞬く間に
自分の心が相手に通じてしまいます。
あいさつという字は
”挨”も”拶”という字
どちらも押すという意味があるそうです。
あいさつは
相手の心を押すこと
だから
相手の心に届くようにするのが
あいさつ。
あいさつひとつで
あなたの人間性が
相手に伝わってしまいます。
あいさつができることが
人間力のバロメーターの
ひとつにもなります。
どんなに忙しくても
数秒ですむあいさつが
できないわけはない
その数秒のあいさつに
心をこめる。
心をこめれば
あなたの心が
相手の心を押してくれます。
あなたの心が通じれば
相手のしあわせな気持ちになります。
あいさつは
人と人、心と心をつなぐもの。
あいさつには
自分のこころがあらわれる。
あいさつを磨くことは
自分の心を磨く生活道です
人に会ったら
心を込めたあいさつを
しましょう

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すべてうまくいきますように

映画「すべていきますように」を観た。
この映画は順風満帆な人生を送っていた老人が
突然脳卒中を発症し、倒れ
一命をとりとめるが
後遺症が残り
この状態で生き続ける人生を
悲観し
安楽死を望むようになり
その願いを叶えるために!?
娘達の奮闘を描いた映画だった。

フランスの映画だが
フランスでも安楽死、尊厳死は
認められてないようで
尊厳死を合法化しているスイスの尊厳死協会に
その段取りをお願いする。

その段取りを
勧めるなかでの
本人の、家族の、友人達の
そして本人の人生の葛藤を描いている。

主人公の娘さんは
父親の希望にそって動いていくが
父親が生きる希望を持ってくればいいと願うが
本人も
麻痺は回復する面もあったり
孫の成長する姿を観るのを楽しみにしていたり
生きたいと安楽死をあきらめて欲しいと思う気持ち
安楽死を合法的に勧めるために
法的な手続きを踏まないと行けず
警察を含めた法的な困難な問題を
乗り越えていかないと行けない・・・
そして、父親はスイスで安楽死が希望通りに
なるのか・・・という映画だった。

自分も脳卒中を経験し
その後麻痺は残っている。
ある意味、この老人のように
今までとは異なる面もあるが
死のうとは不思議に思わなかった。
そのおかげでか?
今も脳卒中前と同じ生活を営めている。

でも一歩間違えれば
生きていく希望を失っていたかもしれない
と映画を観ながら
自分の病気を振り返りながら
人ごととは思えず
そして
死の危機を乗り越えることができたことに
改めて感謝することができた
映画だった。

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薬を飲みたくない

メタトロンを受ける方だけでなく
クリニックを受診された方も
薬は飲みたくないとお考えの方は
年々増えている方は増えています。

確かに
薬を飲む=病気という意識が強いので
薬を飲むことということは
自分の健康でないと言われることなので
薬を飲みたくないと言うことは
わかるのですが・・・・
最近は
病気があっても、
薬を飲みたくない
西洋医学を受けたくない
と言う方は
メタトロンをご希望の方に多いようです。

確かに
メタトロンは
まだ病気であると診断されていないなら
薬を飲むような状況になりたくないから
メタトロンをうけるのはいいと思います。

しかし、既に症状があって
西洋医学にて病気と診断され
薬などの医療を拒否され
メタトロンに賭けてうけられる方もいらっしゃいます。

基本的に
薬を飲みたくない
医療をうけるかどうか悩むかたが
いらっしゃり
「薬を飲んだ方がいいですか?」と
相談されることもあります。

そんな時、僕は
「薬を飲まれてもいいですよ。
必要な医療は受けて下さい」と
お答えします。

なぜなら、医療をうけると言うことは
自分のことを大切にしているということに
つながるからです。

この薬を飲んで
手術をうけて、元気になるぞ
と考えることが大切なのです。
薬を飲むかどうか、手術をうけるかどうか
悩むときに頭に去来するのは
不安ばかりではないでしょうか?
医療を受けたときの不安
医療を受けないときの不安
その不安を天秤にかけているのではないでしょうか?
その不安を取り除くことはできません。

あなたの病気が治るかどうかは
あなたの気持ち次第な面もあるのです。
病気があったとき
明るく過ごすか、不安を抱えて生きるかは
その後の人生に雲泥の差があると言うことです。

ですから
自分を大切に思うなら
医療を受けるかどうか悩むのなら
医療を受けて見て下さい。
どんな医療も
あなたを病気から救うためにあるのですから。

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父親の愛と確執の中で

映画「銀河鉄道の父」を観た。
この映画は感のいい人ならおわかりかも
しれませんが
作家、詩人の宮沢賢治と
その父・正次郎さんとの物語。
そして、主人公は父親である。

映画のオープニングは
初めてのこども、それも男の子が生まれ
喜ぶ父親のシーンから始まった。
こどもの溺愛ぶりはすごく
賢治が赤痢で入院したときには
父自ら、周りの反対を押し切って
入院に付き添い
賢治の赤痢菌をもらってしまい
父親自身も赤痢にかかり
その後も胃腸は弱かったというエピソードが
流れ
父のこどもをどれだけ愛してかの
エピソードが紹介された。

でも
賢治が思春期を過ぎると
賢治自身の夢があり
やりたいことができてくる。
そして、父親には
家も商売も守らないと言えない
そのため賢治とぶつかり合うことが起こる

親子の確執が
親子でも男の子同士だと起こってしまう。
宮沢家でも
愛情があっても
家を守るために
進学や職業の選択でもめることは
どこの家でも多少なりともあるでしょう。

宮沢賢治も
将来やりたいことをし
信仰する宗教も家とは違う者を選ぶなど
父親と度々衝突するのです。
衝突しても、反対しながらも
賢治が不自由なく自分の道を
歩めるようにするのも
どこにある父子の姿かもしれない。

表面上はその父子の姿を
描いたハートゥームな映画に見えたが
賢治や父の正次朗さんの科白の奥に
深い意味がある気がした。

その映画を見終わって
以前TVで、宮沢賢治と父の秘史として
賢治も父も語っていない
伊勢神宮や真言宗などのお寺を回った
旅について
考察した番組をみた。

そこには
映画ではもちろん描いていないし
賢治の伝記などからは
伝えられなかった
賢治の思い、それを必死に受け止めようとする
父親との旅であったというのだ。

そのことを知ると
臨終の2人の関係
賢治が亡くなった後の父の深い行動も
納得できる。

結局
ひと言で言えば
父親は、こどものすべてを受け入れる
愛にあふれた存在であると納得した。

その父親の姿、行動の意味がわかったとき
正次朗の姿が
自分の父親の姿とも重なり
父親の愛情を改めて実感したのです。

賢治の人となりがわかればわかるほど
深く、深く
考えさせられるいい映画でした。

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死ぬまで医師として生きる

僕の使命のひとつは
医師として生きること。
それも肉体が朽ち果てる最後の瞬間まで
医師として生きていたいと思っています。

でも人生何が起こるかわからない
いつ命を蝕まれる事態に陥るかもしれない
もし、その様なときに
どう生きるか・・・・気になるところ

そんな時に
大阪府の済生会吹田病院元院長であられた
内野滋先生の
癌を患いながら、医師として生き抜いたという
お話を知ったのでここに書き留めておこうと思います。

御自身が膀胱癌に罹患していると知ったとき
次のように語っています。

「私は膀胱癌をした。が
これは医師にとって勲章だと思っています。
病気をすることによって、
患者さんのつらさというものが
よくわかったからです。
また、自分はどなたがなくなった後で
ゴルフの話をしているような医者には
なりたくありません。
そして、死亡診断書を書くとき
心から合掌しながら書くような医者で
ありたいと思っています」

この言葉に
医師として患者さんのいのちに
人生を捧げる決意が言葉からわかります。

先生は、膀胱癌と診断されたとき
膀胱を摘出し
人工膀胱を体外にぶら下げる不自由を
我慢すれば、膀胱癌は根治できるが
医者として働くこと
医師としての義務、使命を果たせなくなる。
その時、先生は根治術を選択せず
医師として生きる道を選ばれたのです。

先生は、
根治術をしない代わりに
尿管から膀胱鏡と電気メスを入れ
癌腫瘍を焼く焼灼術を選ばれました。
この治療は、激しい痛みを伴う治療であり
苦痛が伴う物で
診断された後30年間の間に
90回以上行われたと聞いています。

そして
治療は自院ではなく
他の病院で行われたので
患者さんだけでなく、病院のスタッフも
知らなかったようです。

先生は
医師として生きるために
「文字通り生身を切り裂かれる」激痛に耐え
戻ってきては患者の治療にあったていたようです。

この医師として生きた内野先生の生き方
頭が下がります。
僕も医師としている同じ道を歩む者として
先生の生き方をお手本にして
生きて行こうと思います。

先生はどんなお気持ちで
この困難と立ち向かったのでしょうか?
直接お伺いすることはできませんが

先生の最後の言葉は
「人に尽くせ、人に尽くせ」
「ありがとう、ありがとう」
だったようです。

実際にお会いしたことはないけど
目を閉じると
先生の姿が浮かんできます。

先生の生き方お手本に
僕も生きさせて下さい

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あたりまえ

いつもあたりまえと思ってること
食べられる
眠れる
歩ける
朝を迎えられる
みんな あたりまえのことだと思ってた
でも
あたりまえのことは
あたりまえじゃないんだと
あたりまえの中に
しあわせがあると気づいた
あたりまえの しあわせ
あたりまえが しあわせ
あたりまえと思ってる
毎日の生活
あたりまえのしあわせを
かみしめながら
今日も生きていくことがしあわせへと続く

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忘れられない密な自粛生活

3年にも及ぶコロナ感染による自粛生活が
解除され、コロナ前の生活に戻りつつあります。

この自粛期間は
いいも悪いも
多くの人に様々な影響があったと思います。

この自粛期間の時間は
僕にとって
入院時間と同じくらい忘れられない
とっても貴重で密な時間でした。

入院中はできなかった
家族3人で過ごすという
それまであたり前だった時間でした。

朝の散歩から始まり
毎日
妻と娘が一緒に作ってくれた食事を
3人で笑顔で食べ
たまには
手作りのケーキなどおやつを持って
友人の恵みいっぱいの畑や
人のいない大自然の中で過ごす。
そして夜になったら
3人で川の字になって寝て・・・・
また朝になったら、お散歩に行って・・・の繰り返し。

いつも家族3人一緒
何をするにも3人一緒でした。

妻と娘の話し声が
妻と娘といる空間と時間の流れが
僕のからだを心地よく癒してくれました。

自粛期間の家族との密な時間
これまで
こんなに長く家族3人で一緒に過ごした時間は
ありませんでした。

これからもそんな時間ってあるだろうか?
退院した後一番望んだことは
家族3人で過ごす時間でした。

この願いを
神さまがそしてコロナウイルスが
叶えてくれたんだと思います。
本当に感謝の日々でした。

それ以降も
毎朝いつもの神社にお参りして
神さまに無事過ごせたことにお礼して始まる一日を
続けています。

朝から学校に行った
娘が帰ってくるのが
とても待ち遠しかった一日でもありました。

コロナの自粛期間であっても
いい時間を与えてくれていませんでしたか?

どんなときにも
しあわせな時間はあるはず。
そんなしあわせな時間、瞬間を見つけて
今日も過ごしましょう。

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雨の日は「雨を聴いて」生きる

雨の日は
雨の音を聴きましょう
雨の音を聴いていると
あなたの心も、からだもここにいるでしょう。
雨の音を
あなたの五感を使って、聴いて下さい。
雨の音には
美しい音色、リズムがあります。
それは、一瞬、一瞬で
変わってきます。
そんな雨の音に耳を傾けて
今降り注ぐ雨音を
一心に味わってみて下さい。

雨音を一新に聴いていると
雨音が僕に話しかけてくれるのです。

あなたは
いつも過去を悔やんだり
まだきていない未来に思い悩んでいたのですね。
どんなに過去の出来事を悔やんでも
過ぎ去った過去に戻ることはできません。
また、まだ訪れていない
未来に先回りして
準備することもできません。

過去や未来という時間は
まぼろし。
まぼろしの時間を生きていたら
安心して生きる道はないのです。

安心して生きる道は
そう、今という時間を味わうことしか
できないのです。

ですから
雨の日は、雨の音に耳に傾けて
心静かに過ごしてみてください。

そう言えば
昔「雨音はショパンの調べ」という歌が
流行りました。

雨音の奏でる調べは
どんな歌をあなたに伝えてくれるでしょう。
さぁ、雨音に耳を傾けてみましょう。

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働かざる者食うべからず

”働かざる者食うべからず”という
言葉があります。
この言葉を聞くと
怠けるなと言われている
ような気がして
ちょっとドッキリする言葉です。
実はこの言葉は
禅語の
”一日不作、一日不食”
(いちにちなさざれば、いちにちくらわず)
からきている言葉です。
禅では、作務をおこないます。
作務というものは
単なるそうじではなく
人が人であるための基本行為
または
人としてやるべきことを
をさしています。
つまり
人のためにすること
人が社会に対してすることが
作務
人間としての
務めと考えているのです。
人は人との関わりで
生きている。
一人では
生きていけないと
わかっているのに
人は
周りの人や
自分が勤めている会社
そして社会に対して
要求ばかりだしてしまいます。
そして
要求が叶わなければ
すぐ
まわりの人や社会のせいに
してしまいます。
一人で
生きているわけではないので
うまくいかなった時
自分で解決する努力を
していただろうか?
自分に対して
甘えがなかっただろうか?
振り返ってみることが
大切じゃないでしょうか?
社会の中では
人はお互い支え合って生きている。
やるべきことを放棄して
支えられることばかり考えていては
社会は乱れてしまう。
どんな小さなことでもいい
自分のできることをする
誰かのために
自分のできることをする
どんな小さな一歩でもいいから
自分の脚で歩いてみることが大事。
誰かのために
一歩踏み出すことができれば
困った時には
きっと誰かが手を指しのばせてくれる。
誰かのためにして初めて
”生きる”意味がわかるのかもしれない。
“働かざる者食うべからず”という言葉は
そんなことを
教えてくれている気がします。
☆今朝は山口中央倫理法人会のモーニングセミナーからの
スタート。午前中診療の後、午後は園医をしている保育園
での健診。夜は、明日のセミナーの講師との会食。
今日も色々な出会いがありそう。今日も精一杯今を、そして
目の前の人を大事に過ごしたいと思います。
写真は先週行った岩国の錦帯橋の写真です。

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