「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
自然と共存共栄していれば、病気にならない
病気があっても、なくても
今、こうして生きていけるのは
からだにあるエネルギーのおかげであることは
まちがいない。
体内にあるエネルギーを
自然治癒力というなら
その力が少なくなってくると
どんどん生命力がなくなり
不健康になってくる。
そのエネルギーは
どこからくるのだろう?
それは、太陽も含めた
空(宇宙)から降り注いでるのです。
ですから、そのエネルギーは
自然の中にはあふれています。
自然から離れれば、離れるほど
エネルギーが低下して
病気になりやすくなるのです。
実際
自然の中で過ごしている
自然と共存共栄生活している人は
昔から長寿の傾向にあるのは
みなさんも理解できることでしょう。
自分の肉体と自然の一部ととらえ
いかに自然を自分のからだを置くことが
大事なのだと思うのです。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
ひとりでも多くの方のお役に立てることを願うばかりです。
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ライセンス
今まで、
多くのこども達に出会いました。
生まれてきたこども達の運命は
ひとりひとり違うけど
こんな風に思うんです・・・・・
”ライセンス”
元気に生まれてきたこども達
短くしか生きられなかったこども達
重い障害を持って生まれてきたこども
どんなこども達も
それぞれの運命を背負って生まれてきます
それぞれの運命は違っても
生まれてきたこども達は
生まれていいよ”というライセンスを
神様からもらって生まれてきたんだと思う
神様から
生きていく意味を伝えるために
宇宙からつかさどった運命を
実践するために
多くの中から選ばれて
”生まれていいよ”ってライセンスをもらったんだと思う。
だから
世の中に生まれてくるって
とてもありがたいことだと思う
みんな”ライセンス”を持った選ばれた人たち
人は、すべての人と仲間
人は、すべての人と仲良く
生きていかなければならないと思うのです。
それが、生まてきた人の義務なのだと思うのです
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
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お釈迦様が答えた”生きている”とは
今、この瞬間も
僕たちは生きているけど
どうして生きているのか?
生きているってどういうことなのか?
誰もが納得する答えを出す
自身は僕には持ち合わせていません。
そんな時
お釈迦様が、お弟子さんに
「生きている」ってどういうことなのか
質問されたそうです。
すると
お釈迦様は「認識することだ」と答えられたそうです。
この答えを知って
なるほどと思いました。
お釈迦様と僕の視点は違うことに気がつきました。
僕、同じ質問された時
生きるについて
思う存分考え、生きる意味を考えていました。
その時、お釈迦様は
目の前に咲いている花をみて綺麗だと思うこと。
真っ青な青空のもと、息を吸って気持ちいいと思うこと
吹いてきた風が心地よく感じたり
・・・・・
自分の目の前の花、空、風など
すべての物を肌で感じることを
生きていることだとお釈迦様は仰ってるんですね。
僕たちは
目の前の起こってることを自分なりに解釈
頭で考えること
しあわせだ、楽しい、悲しい・・・などと
感じることではないんです。
目の前で見せてくれるすべてものを認識すること
それが生きていると言うことなんだと
お釈迦様の生きているの答えですね。
目の前に起こってることを
認識、意識して過ごすことが
丁寧に生きることだと
お釈迦様は教えてくれてるんです。
ありがとうございます
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
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生きる道
“生きる意味”について考えてみた。
ある人は、人の役立つこと
ある人は、魂を磨くこと
などなど
みんなそれぞれの考えを持っていると思います。
どの考えも正しいと思うし
きっと答えはひとつではないのだと思います。
人間だけが
生きる意味を考え
生きていくことが
“人は考える葦と言われる”所以なのでしょう。
そんなことを考えさせられた週末
ある子宮頸癌を患っていた 女性の
最後の手記、最後の言葉を知った。
「 一日一日を丁寧に“暮らす”
ひとつひとつを心を込めて“暮らす”
その積み重ねが“生きる”ということなのだと
強く思いました。」と
頭で考えるだけでは
生きることの意味はわからない。
今この瞬間の人生を生ききることで
“生きる意味”わかるのだと思う。
“今を生ききり”
そして
“この瞬間を生きていること”に感謝です。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
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我、思う故に、我あり、そして・・・
デカルトが残した言葉
”我、思う故に、我あり”は
デカルトが現代物理学の基礎をつくるために
よりどころにした言葉とも
いわれています。
そして
この言葉は
今の社会にも充分通じる言葉だと
思います。
我が、今思うこととは、つまり
この瞬間に何を思い、何を選択し、何を見いだし
どう認識していき
そして、それが自らの行動に反映していく。
だから
今、思ったことを心に留めることは
今後、自分のやるべき行動を
起こしていくための
一つ一つのプロセスを輝かせて
進むべき道を示してくれる。
だから
我思うことが、我がこの世に生きていく使命を
示してくれるのだと思う。
そして
このことを認識するために
宇宙は存在し
宇宙からの大切なメッセージを受け取ったとき
我は、思うのだと思う。
我の思いは宇宙に存在する。
宇宙にある、宇宙から受け取ったメッセージを
人々は神からのメッセージと感じるのかもしれない。
“我、思う故に、我あり”には
続きがある
我神を思う故に、神あり”なのだ
メッセージは自分の思いつきだけではなく
宇宙からの偉大なメッセージと考えるなら
神は存在するのだろう。
現代社会は
今までの価値観の変換を迫られている状況。
21世紀は、コロナウイルスの呪縛と考え
メッセージを受け取らずに、こだわると
次へのステージへのチャンスを
逃してしまうのではないのでしょうか?
Iam what I am.
存在していると思えば
存在するのが、神なのかもしれない。
我思う故に、我ありの”我”は
ひょっとして神
神からのメッセージなのでしょうか?
あなたは
神からのメッセージを信じますか?
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
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モリコーネが教えてくれた天職とは
モリコーネと言えば、
マカロニ・ウエスタン映画や
ニューシネマ・パラダイスのうtル串医旋律の
映画音楽の作曲家として
有名な作曲家。
そのモリコーネを
自身のインタビューと
全映画音楽?を振り返った
伝記映画だった。
モリコーネは
大学で作曲を学んだ後
数々の映画音楽を作り始めるのだけれど
当時は映画音楽を作るのは邪道だと
考えられて、
モリコーネの師匠さえも
当時は認めてもらえなかったらしいです。
それは周りだけでなく
モリコーネ自身も
映画音楽を作り始めた
1960年は、10年続けて映画音楽作りはやめる
1970年になると、あと10年でやめる
1980年になっても、あと10年
1990年になって、この仕事もあと10年で終わりだと
と奥さんに語っていたそうです。
そして
2000年になってからは
もうこの科白は言わなくなったとか?
また
モリコーネの作曲法は
楽器を使うのではなく
作品のことを考えると
自然に音楽が降りてくるらしい。
そうして、斬新なアイデアで
一気に書き上げるスタイルは
まるでモーツァルトを彷彿されるようです。
モリコーネの人生を知ると
モリコーネの人生
映画音楽作りは天職であったことは
誰もが認めることでしょう。
しかし
天職になるまで
本人は葛藤があったのは
間違いないです。
でも、どんな苦悩なことがあっても
続けられるのは
天職なのですね。
だから、今行ってる仕事は
あなたの天職かもしれません。
今やってる仕事を丁寧に、集中して
やっていきましょう。
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年をとるのが早いか、やる気を失うのが早いのか?
よく聞く言葉に
やる気が若い時のようにでないなぁ
年取ったのかな?
言葉にしなくても
そう感じる方も多いことでしょう。
「年を撮るからやる気がなくなるのか?
やる気がなくなるから年をとるのか?」
コロンブスの卵のような命題に
年々考えることが増えてきます。
この年とやる気に対する
生物学的に考えてみました。
どの生物も
生きている時の共通する目的は
子孫を遺すこと。
そのために、相手を求め
命をかけて戦いにのぞまなければならないことも
あるでしょう。
その期間は多くのリスクを抱えて
生きていく場面が増えてきます。
リスクを超えて生きるために
体内ではアドレナリンが大量に分泌され
戦闘態勢でいきているので
意識しようかしまいかに関わらず
積極的に生きていかなければならず
やる気がみなぎっていると感じることでしょう。
子孫を残いた後の人生を
生きて行くようになります。
ある程度子孫を遺した状態になると
今までの生き方のように
リスクを抱えて生きるのではなく
自分が子孫を残す時期から
闘うリスクを下げ
遺した自分の子孫を守ったほうがいいと
思い始めるですね。
そう考え出すと
これまででていた
戦闘態勢を維持するための
アドレナリンの分泌が減り
リラックスするノルアドレナリンの分泌が
優位になってくるのです。
すると
リラックスしている姿が
他の人の目には
やる気がなくなったように見えるかもしれません。
その姿は
あなたのこれからを
見守ってくれている姿なのです。
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科学者として生きる
僕は今医師を生業として
生きて、生活しています。
医者とは
どんな職業かというと
もちろん人のからだを
病気から救うというのが使命ですが
生命と向き合い
真実の生き方を追求するのが
大きな目的であると思います。
真理を追究する立場として
医者には
科学者でもあり、
追求者としての研究者としての面を
もっていなければなりません。
厳密に言うと
科学者と研究者では
ちょっと意味合いが異なる面があります。
原爆の開発を例にとると
原発を開発したアインシュタインは
開発後に平和運動をとして
科学の枠を越えて
平和への道を唱えられました。
水爆の開発に携わり
後に、ソ連水爆の父とよばれた
サハロフ博士は
水爆を完成した後に
人権活動家として名をはせ
ペレストロイカの父とも
呼ばれています。
ここに
研究者と科学者とのちがいが
あるような気がします。
一般的に研究者は
社会の大きな望みを叶えることを
第一義に考えて
真実を発見することが益だと考えて
全身全霊を傾けます。
しかし
そこには、開発することが善かどうかは
その時にはわかりません。
それに対して、科学者は
自らの信念や考え方で
真実が正しいことなのかどうかを
考えていきます。
そこには自分の哲学、思想が
関与して暮れのです。
ですから
最初研究者であった
アインシュタイン博士も
サハロフ博士も
最後は科学者として生きられたんだと
思います。
世界の人類に貢献した人物だと
今でも尊敬されているのでしょう。
今
コロナワクチンの接種が全世界で
行われています。
全世界の人類の希望の灯火んいなるために
全英知を結集し
これまで誰も成功しなかった形で
短期間で開発に成功しました。
多くの研究者の努力のたまものだと思います。
このワクチンが
全世界の希望の灯火となることを
もちろん願っていますが
このワクチン開発されたことの善は
研究者ではなく
科学者といわれる方々で
きっと証明されることでしょう。
医者には
研究者と科学者としての両面を
もっていると
冒頭で書きましたが、
自分は
医療という研究の成果を
人々のしあわせに生きるために使える方法を
考え、伝える
科学者としての医師として
今後とも歩んでいきます。
メタトロンが教えてくれたこと②
メタトロンは
からだの全身を
くまなく検索し
異常を見つければ
DNAレベルから治療していきます。
俗な言葉を使えば
とても優れものなのです。
異常な点も
自覚症状のないところから
実際症状のあるところまで
チェックし
いわゆる
症状がまだ表面化していない時点から
診断そして治療するので
病気を自身が気づく前に治療するので
理論的に考えると
病気知らずのからだになれる
たのもしいものです。
うけると
些細なメッセージを届けてくれるのですが
そのメッセージを患者さんに
伝えると・・・
多くのかたが
どんな病気なんですか?
何を食べればいいですか?と
先を焦って
原因はなんで、治療しないとと
焦る方がほとんどです。
そりゃ、そうでしょう
ここが悪いと言われると
なんとして治そうと思うのが
人間の心理だから
原因はなに?診断名は?
何に気をつければいい?と
あわててしまうのはよくわかります。
患者さんと説明して
気づいたんですね。
患者さんは、説明を聞いたときに
左脳で考えてるんだな。
左脳は、人間の行動の多くの部分を
支配しています。
ある事実が起こると
今までも経験をもとに
その事実を分析をして
原因、対策を練るんですね。
今までうけてきた教育のくせなのかも
しれませんが
伝えた後の思考回路が
左脳優位何ですね。
でも
からだが知らせたいのは
診断名でもなく治療法でもないんですね。
結局
からだが知ってもらいたいものは
今のからだの状況だけなんです。
からだは
自分の力で自分のからだを治す力を
持っています。
ですから
医療に治してもらう、ましては
あなたに治してもらおうなんて思ってません。
知ってもらいたいのは
今あなたのここの部分が悪い
そして
悪い部分で、あなたが苦しまないように
からだが調整してくれているという事実。
その事実を受け止めてもらいたいんですね。
ただただ、わかってもらいたい
あなたのために
からだが頑張ってることを
知ってもらいたいんですね。
こんな事実を知ると
頑張ってくれていると思うと
からだに感謝の気持ちがわいてきませんか?
その感謝の気持ちを持ちさえすれば
言葉に出すに出さないに関わらず
からだに確実に伝わります。
すると
からだも喜ぶんです。
わかってくれて良かった。
もっと、がんばろうと・・・・
そして治癒力が増すんですね。
ですから
薬を飲む必要もないんです。
からだの気持ちを受け入れることが
一番の治療であると言うことを
メタトロンが伝えてくれているんですね。
メタトロンが教えてくれたこと①
メタトロンを使った診療をはじめて
5年目を迎え
このメタトロンから教えてもらえることや
気づきがあり
メタトロンと共に
自分も進化している感覚があります。
そんなことを感じた
診療の一コマをお話しします。
先日来られた初診の患者さん。
腹部に腫瘤が見つかり
バイオプシーをうけ
その結果が出る前にメタトロンを受けてみたいと
受診された。
早速メタトロンをすると
からだ全体にいいエネルギーが流れている。
重病になるエネルギー状態ではなさそう。
次に
臓器の波動を見ると
予想通り(?)
心配だった臓器は
特に問題なし。
そして
メタトロンが注意すべき臓器で示したのは
骨(肩と脇腹の胸椎)、肺だった。
あれ?
どうしてだろう?
患者さんご本人も
予想外の結果に戸惑ってる風だった。
でも。自覚症状がないからと言って
健康ではないこと
病気にならないよう、からだが頑張ってることを伝える
からだのメッセンジャーのような
働きがあるので
本人が深刻に思わなくても
自覚しなくても
原因があるはず・・・・
患者さんの生活について
お話をすすめていくと
脇腹が
時折チクチクと痛むことがあった
でも、骨には異常がなく
一過性だろうから様子見ましょうと
言われていたらしい。
そして
肩の負担がある生活をしてないか尋ねると
ご家族の介護をおひとりで
おこなってるようだ。
そのことを
メタトロンは伝えようとしてたのです。
肉体疲労があることを
そして
肺は悲しみの感情とリンクする。
お聞きすると
最近、ご親戚でご不幸があり
やっと落ち着いてこられたらしい。
そういえば
チャクラは大きな悪さはなかったが
1カ所、第5チャクラが落ちていた。
ここは愛のチャクラとも言われ
やりたいことができないことが
予想されるのだけど
メタトロンの結果をお話してるうちに
患者さんの
日頃の生活している姿が
目に浮かんできた。
大切な方とのお別れが悲しく
悲しみに打ちひしがれる毎日であり
そして
介護にほぼ100%時間を費やすので
自分のリラックスできる時間もとれないぐらい
心身とも疲れ果てた患者さんの姿。
メタトロンは
患者さんを治すのは、薬や手術などの
医学技術ではない
本人の生き方を変える
生きやすくすることを教えてくれた。
それで
僕は、これから
患者さんが行きやすい生き方できる
方法をお手伝いすることが
僕の使命であることを伝えてくれました。
メタトロンは
機械のようで
機械ではないのです。