真実の医療」カテゴリーアーカイブ

素直のこころ

若い時は
「上へ上へ」と上を目指してがんばる時。
憧れのおとなを目標に
なりたい自分目指すためには
成長しないといけない時期。

成長するためには
いつも自分はスタートラインに立ってるという
気持ちが大事。

”チャンスがある”と思った時には
後ずさりすることなく
手を伸ばして
その”チャンス”を掴んで欲しい。
成長するには
チャレンジすることは不可欠です。

でも
いつも成長できるというわけではない。
いつもチャンスがつかめるというわけじゃない。
その人の持って生まれたもの、環境など
その時の状況で、その時の成長の度合いも違ってくる。
思ったように成長できず
落ち込んでしまうこともあるかもしれない。

そんな時は”上”ではなく、周りをみたらいい
周りに共感できるものを探してみたらいい。
その時大切なのは”素直な心”

いつまでも
こどもの時からもっていた透明な心で
まわりをみて
向き合い、感動したり、驚いたり、喜べることを
見つけられる心が大事だと思う

どんなことに対しても
素直な心で向き合えば
いつでも
1つや2つはきっといいことが見つかる。

素直な心を持ち続ければ
必ずいいところを見つけることができる。
いいところが見つかれば
そのことに興味をもち、勉強し
もっともっと、深く学ぶようになり
自分の器が広がっているのに気がつくでしょう。

素直な心は
こどもだけでなく
いくつになっても
成長するために必要な心。
こどもの時から
誰もがもっていた素直な透明な心。
いつまでも
素直な心を忘れず持ち続けていたい。

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病気の原因は内側から

今までの医学の中心は
みなさんもご存じのように西洋医学です。
西洋医学の進歩によって
多くの病気の原因がわかり
高度な治療が開発され
百年の寿命が延びたのは
西洋医学のおかげであるのは
確かです。

ですから
西洋医学を軽視すべきではないと思いますが
日に日に
西洋医学を批判する方は増えている気がします。

確かに
これだけ医学が進歩しても
病気は減らないし
次々難病が出現して
寿命が延びたからといって
人々はしあわせになったかというと
そこには確かに疑問が残ります。

西洋医学は完璧でなく
足りない面があるのも
我々医者も、謙虚に
認めないと行けないと思います。

西洋医学は
病気を外側から治療する医学でした。
からだに生じた異変を高い精度で見つけ出し
今までの医学では
及ばないような即効性と有効性のある医療として
発達しました。

今、西洋医学は
みなさんが感じるように
限界が見えてきたような気がします。

僕も日々の診療を通して
病気の解明には
物質的に見える外側ばかり診ていても
不十分に思えるのです。
病気によっては内側
つまり物質的に見えない部分である
こころが原因になっているのではないか
そこに踏み込んだちりょうしないと
病気は治せないのでは?と思えるようになったのです。

病気の多くは
病気も内側に起因して発症するものが
多いのでははないかと思っています。

ですから病気の内側にアプローチすることが
これからの医療には必要になると思います。

そのお手伝いができるのが
今やっているメタトロンです。
ご自身の内側の状態のチェックに
お役に立てる医療だと確信しています。

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魂の調べ

坂本龍一さんの
最新のコンサートを拝見した。

コンサートといっても
坂本龍一さん自身癌と闘病中であり
何曲も連続して演奏することは
むずかしいとのことで
一曲ずつ、自分の体力に合わせて
収録した物を
編集したものになっていた。

演奏もこの2年間パンデミックの中
ご自身の体調のいいときに
日記的に記録されたスケッチの中から
12曲が選ばれて
坂本龍一さんのピアノ一本で今回演奏された。

坂本さんは
ピアニストではないから
技巧的にひかれることはないけれど
坂本さんが
鍵盤を叩く度に醸し出された音が
キラキラと輝きながら
ピアノの外に飛び出す。

そして
その音は線香花火のように
音の余韻を遺すように
僕の胸に響いてくれ。

これを
わび、さびというのか
坂本龍一さんが日頃感じている
音の余韻、響きなのでろう。

死をも恐れず
生きていることを謳歌している
坂本龍一さんの魂の調べなのだと思う

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今できることに自信をもって

75歳になった
患者さんから、こんな気とをきかれた。

「先生、わしは75歳になったけど
この年からみると
この程度でいいのだろうか?
それとももっとがんばった方がいいのだろうか?」

その患者さんは
大きな病気もなく
大きな悩みもなく
毎日悠々自適に暮らしていると
思っていた。

もともと人のためのことを考えて
働いて、生活をされてきた人生なので
周りの人々が頑張ってる姿を見ていると
自分ももっと頑張らないと行けないと
思ってしまうのでしょう。

そして
以前頑張ってた自分と比べ
もっと頑張らないといけないのではと思うのでしょう。

この患者さんだけでなく
お年寄りの方は
若いときn自分と比べ
もっとやらないとという気になられる方は多い。

これはご老人だけの話ではなく
病気を経験して思うこともある。
このままでいいのだろうか?
もっと以前のようにできるように
頑張らなくてはいけないのだろうか?
でも、病気があるから
自分の意志だけではどうにもならないという
大きな不安もある。

今の自分を
昔の自分やできている人と比べてしまうから
できない自分に悲観したり
不安も大きくなるのかもしれない。

大事なことは
例え病気があったとしても
その時の100%の力で
生きていくことが大事なのではないかと
その患者さんの質問に
まるで自分に言い聞かせるように答えていました

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IT機器でバランスを崩さないように

先日、最近人々は
常にスマホを触っていて、
時間があるとスマホを常に触っていないと
落ち着かないという人が増えているというか
どこに行っても
スマホをいじっている人で
どこもあふれています。

病院の待合室でも
おとなだけでなく
こどもまでもスマホを扱っています。
診察室に入っても
スマホだけを大事そうに握って
入室してくる高校生も目立ちます。

ニュースで
13歳の女の子が
親にスマホの使いすぎを注意され
親を刺し殺してしまったという
こころ痛む事件まで起きてしまいました。

人が持っている
心のバランスを整える気も
エネルギーです。
このエネルギーは電気的な傾向もあるので
携帯電話を耳元にあてただけでも
電車の中で携帯やタブレットなど
たくさんの電気にかこまれていたり
PCをむかう生活を続けていると
自身の波動がゆがみ
リズムが乱れ、精神の不安定さを生む
要因になってしまいます。

我々のエネルギーの根源は
宇宙から降り注いでいると考えられています。
そして、そのエネルギーは
ご自身がリラックスしていないと
受け取ることが難しく、
IT機器や電化製品で発生する電磁波は
この自然にあふれている
宇宙からのエネルギーの流れをゆがみ、抵抗し
その結果
自律神経が乱れ、リラックスできず
あたまが休まることなく
切れやすくなってしまうのも当然かもしれません。

IT機器の功罪はわかっていても
おとなからこどもまで
これだけ幅広く生活のなかに入り込んだ
パソコン、スマホをシャットアウトするのは
難しいでしょう。

ですから
休日は、パソコン、携帯から離れ
是非とも海や山など
自然の中に出かけてみて下さい。

自然の中に身を置くことで
からだにたまった電気が放出(アーシング)され
自律神経が整います。
また自然の中できかれる音に
波の音、木々のざわめき
虫や鳥の声などにも波動を整える力があります。

自然の中に出かけなくても
クラシック音楽など
気持ちがゆったりする音楽をきかれるだけでも
波動が整います。

IT機器によって乱れた波動を
整える時間を是非とって下さい。

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出会う人はみな師

こどもはみんな
早く大きくなりたい
立派な大人になりたい
いつも成長したいと
思ってることでしょう。

成長したいと思うのは
こどもだけでもなく
おとなも何歳になっても
成長したいと思う方も多いでしょう。

成長したくても、
一人で考えていても
一人だけでは
決して成長はしません。

人は、日々
多くの人に囲まれて生きてきて
多くの刺激をもらって
成長していきます。

日々の生活の中で
人からだけじゃなく
経験したこと、身の回りに起こったこと
読んだ本、聞いた音楽、目にした風景など
無限と言っていいぐらいの
様々なことから刺激を受けて
みんな成長していきます。

昨日よりも
成長したいと思うなら
周りから何かを学ばなければなりません。

無限にあるものの中で
最も大きな影響を与えてくれるのは
”人”です。
成長させてくれるのは
”尊敬できる人”、”とっても偉い人”
”とってもすごい人”
かもしれない。

でも
あなたを成長させてくれる人は
決して特別優れた人ばかりと
いうわけじゃない気もします。

”いい加減な人”
”うそをつく人”
”約束を守らない人”
たとえ嫌いな人からでも
学べることはあるはずです。

知り合いではない
偶然出会った人
通りすがりの人の
笑顔だけを交わした人からでも
学ぶことはあるはずです。

逆に
人と過ごしていると
腹が立つこともある。
そんな腹が立つ人と出会ったとしても
この人から
何を学べるかだろうか
何も学ぶべきことがない
と考えることに実は意味がある。

反面教師という言葉もあります。
どうしてなの?
なぜなの?
そう思った瞬間に
あなたはきっと学び始めているのです。

だから
どんな人からも
学ぶことができるはずです。

好きな人であっても
あなたに意地悪をした人であっても
そんなこと
気にすることはありません。

今日出会った人はみんな”先生”
みんな、自分に何か伝えようとしている。
自分に何かを教えてくれている
のだから、みんな”先生”

こう考えていると
誰に対しても
”ありがとう”という
気持ちになってきます。
そして
人はみな
生かされ生きているという
ことに気づくのだと思います。

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八紘一宇

今日は立春
立春は季が変わる節目の時期で
初詣の時と同じように
今年がいい一年に為るように
いろんなお願いをする方も多いと思います。

願う目的も、内容も人それぞれ。
個人的な願いごともあるでしょう。
世界の平和を祈る方もいっらっしゃる方もいるでしょう。

世界平和を祈る言葉の中で
「八紘為宇」というのがあるのは
ご存じですか?
この言葉は、政治家が時々口にする言葉で
東京裁判の時に議論されたり
最近では、三原じゅんこ参議院議員が
国会の発言で注目された言葉です。

この言葉は、日本古来からの言葉で
神武天皇が
東征を決断されたときに
兄の五瀬命に述べたことばとして
現在まで伝えられています。

現在の漢和辞典によると
八紘は「天地の八方の隅」で
転じて全世界を意味し
「宇」は家を指します。
すなわち全世界をひとつの家にするとの意味。

その言葉を
神武天皇はきっと
日本全体が平和に収まった状態を
思い浮かべ
日本列島全体が
私たちの家となり
私たちが
同じ家に住む家族となるとこを願い
この言葉を発されたのではないかと
僕は思うのです。

今は
日本だけの問題だけでなく
世界全体が一つの家、家族と
為らなければいけない時を
迎えているのです。

今こそ
八紘一宇の精神で
「奪えばたりなくなるけど
分け与えれば余る」という
応神天皇が引き継がれた精神をも
日本人として生まれたからには
引き継ぎ、世界に広めないといけない
精神なのだと思います。

この精神は
災害が起こったとき
今のようにコロナ感染の後の世に
必要な精神だと思うのです。

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喜べば歓び事ごとが多く訪れる

新しい年になって
長かった
新型コロナウイルス感染症の出口が
少しずつ見えてきた気がします。

でも、
どのように終息するか
まだまだ先も見えない状況です。

でも
世界がパンデミックの状況でも
どんな逆境の時でも
月日は巡り
また新しい時間が
巡ってきます。

新年が明けて1か月経ちましたが
みなさんは
今、どんな気持ちでお過ごしでしょうか。

まだ世の中は不安定のなか
目を疑うようなことが世の中では起こっています。
どんな時代になっても
時間は流れるていくし
新しい時間が来るのです。
その流れは
どんなに抵抗しても
止めることができません。

全ての時間を
受け入れるかは
自分の気持ち次第です。

例え病気の中にいても
悲しみばかりじゃない
今日できたこと
昨日の苦しみが
少なくなっていることもありました。

すべて
自分の心が
今の自分の心を決めているのです。
ですから
不幸を探すより、しあわせを探して
生きていった方がいい。

信貴山の管長がこんな言葉仰ってます

「喜べば慶び事が喜んで
喜び連れて喜びに来る」

どんな時代であっても
慶びは必ずあなたと共にあります。
今年もみなさんに慶び事が訪れますように
今日も僕も医療を通じて
働かせていただきます。

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湯川秀樹先生の弟子になれたら

僕は
これまで色々な方に
お世話になって
育ててもらい今日まで生きてこれました。

でも
悲しいかな
自分は一匹狼で過ごす性なのか?
いつの時期でも感謝している人に出会っても
ずっと影響を受け続けられた人
いわゆる
師匠、メンターという方に
出会えることが少なかった気がします。

でも
実際に会ったことがなくても
いつも時期になると出会い
その時の僕にとって大きな影響を与えてくれる
いわゆるメンターという方が
二人いっらしゃることに
最近気がつきました。

一人は
日本ではじめてノーベル賞を受賞された
物理学者の湯川秀樹先生です。

湯川秀樹先生との出会いは
小さい頃読んだ伝記なんですが
その時の印象は今でもはっきり覚えています。

京都大学、ノーベル賞など
すごい先生なんだと
読んだときの感想なんですが
なぜかわからないけど
大好きな、えらい先生だと思ってたし
将来の選択を迫られたときも
理系苦手の僕にとっては
足下にも及ばないけど
頭が良ければ、湯川先生の後を継げたのに・・・
なんて
空想しながらも、今の道を選んだ気もします
そしてその後も
ずっと尊敬し続けた先生でした。

そして
今、目に見えない世界の存在を
感じながら医師をしていると
先生の晩年発表された研究「素領域理論」が
まさに
見えない世界
あり得ない世界
ひょっとしたら魂の世界が
湯川先生が理論上考えられていた世界だ
と言うことを知りました。

入院中も
なぜか先生のエッセイを読みたくなり
図書館で借りた本を読んでいました。

先生が物理学的に証明しようとした世界を
僕が信じて証明しようと歩いている世界
湯川先生が導いてくれている世界だと
直接お会いしたこともなく
先生なんて言うのもおこがましいですが
僕は、勝手に、独りよがりかもしれませんが
先生の導いてくれた道を信じて歩いている
今は
先生の弟子の末端にでもいるつもりでいます。

自分勝手な思いですが
先生に実際に会って許されるものなら
湯川先生の思いを持って生きる
弟子のひとりになることを許してもらいたい思ってます。

もし
将来先生の示された素領域の世界で
先生に出会うことができた日には
先生の理論を実践したと言える
生き方をしていくつもりです。

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生きているのではなく生かされている

ここ最近毎年
新しい年を迎えると
思うこと、思い出すことがあります。

それは
今ここにいるのは
自分の力でここにいるのではなく
ここでいるように
生かされている
という気がとてもするのです。

思えば
ひょっとして
今ここに存在しなかったかもしれない
出来事が
これまでに2回ありました。

一つは
今から約10年前。
山登りに魅力を感じていた時期で
乗鞍岳の登山に挑戦した時のことです。
乗鞍岳は
3000mを越える山ですが
初心者の僕でも
登頂することができ
山登りの楽しさを教えてももらった
山でした。

山登りは
下山するまでが山登り。
とも言われます。
その時
一緒に同行した方と
下りは自転車で下ろうと提案してくれて
サイクリングの経験はないけど
下るだけなら
ついて行けるだろうと
軽く考えてOKしました。

でも
そこに魔物がいたんです。

長距離の下り
ペダルを漕がなくても
どんどんスピードが乗ります。
それも3000mの下り坂
つづら折りのカーブを曲がりながら
降りていきます。
スピードも乗って、楽で快適です。
でも
ガードレールの下は
絶壁の崖のところばかり
スリルも少しは感じながら
スピード感に酔いしれ
自転車が加速していきます
まさに
風を切り、風に乗ったと思った瞬間
カーブを曲がり切れず
ガードレールを
乗り越えてしまったんです。

目の前が真っ暗に成り
体がふわっと宙に舞う感覚とともに
ドスンと落ちて
右の胸を
ガードレールの柱を固めてあった
セメントの土台にぶつけ
強い衝撃と痛みで
僕の楽しい山登りは終わりました。
肋骨を打って
ひびが入ったのでしょう。
それからしばらくは
笑っても痛い
ベットから起き上がるのも
痛くて動きがとれない状況が
1週間近く続きました。

楽しい旅行の結末は
苦い思い出になってしまいました。

でも
冷静になって振り返ると
そのカーブだけが、すぐ地面だったのです。
つまり
他のカーブを
曲がりそこなってたら
深い深い谷底に落ちてしまい
いわゆる滑落事故として
いのちがなかったと思い
今思うとぞっとしてしまいます。

そして
一年前の脳出血。
脳出血でいのちを落とした方の
ことを聞くことがありました。
今まで元気だった方の
突然のニュース。
そんなニュースを聞く度に
僕もそうなっていても
おかしくなかったんだと思います。

亡くなったかたも
死ぬなんて思わなかったんでしょう。

色んな状況
同じような状況でも
死ぬ人と生きている人がいる。
このちがいってなんでしょうか?

人は寿命、運命だと言うのかもしれませんが
僕には
自分で勝手に生きているのではなく
誰かによって生かされている気がして
ならないのです。

生きる、死ぬも
自分で決められない
だから
毎日いやこの瞬間を
悔いなく過ごさないといけないと思うのです

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