「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
生みの親といのちの親
この世に生まれてくるためには
必ず父と母がいます。
この世に生まれてくるということは
両親との縁が最も深いと言うことになります。
この両親から引き継いでいるご縁を
「血」といいます。
血とよく似た言葉に
血液という言葉がありますが
似ている言葉ですが
全く異なる物です。
血は、誰からもらったのでしょうか?
両親やご先祖様からだけから
いただいたと思っていませんか?
確かに
両親から
血は引き継いでいるのも事実ですが。
でも
この世に誕生する前のことを
考えてみると
卵子と精子が結合し
その卵子が細胞分裂して
僕たちは生まれてきています。
受精した後生まれるまでのこと
お腹の中でのでの状態
お腹の中でなにが起こっているかは
母親自身すらわからないうちに
すすんでいます。
生みの母といえども
お腹のできごとには
全く手をかけることも、意識することも
できません。
3億ある精子の中から
たった1個の精子が選ばれ
卵子と運良く結合し
順調に細胞分裂を繰り返し
順調に育つことって
両親の力じゃないのです。
この世に生まれてくるのは
両親やご先祖様の力と言うより
もっと大きな力が働いているからなんです。
僕自身もあなたも
この世に生まれてきたのは
大きな大きな
いのちの親とも言える
自然の力のおかげなんです。
ですから
僕たちのいのちを
天命だといういい方をすることもあります。
いのちは
天命でいただきそして天命に帰るもの
ではないでしょうか。
両親や両親とつながっているご先祖様を
生みの親と考えるなら
もっと大きな育まれた愛の力で生まれ、
またその力の源に帰っていくのだと思います。
僕たちはみんな
生みの親といのちの親が
二組の親がいるのです。
両親にも感謝
そして
いのちを育んでくださった
大きな存在にも感謝して
生きていかないといけないですね。
進路指導
医者に憧れながらも
医者の道を決められない少年時代。
でも
自分のすすむべき道を
決断しないといけない時期が
迫っていました。
それは
高校1年から2年に上がるときの
進路指導でした。
文系か理系を選択しないといけません。
自分は
英語、国語、社会などの
いわゆる文系科目が得意でした。
理系科目は
教えてもらった範囲を理解して
点数をとると言うことはできたのですが
理科的発想、理科的応用力がない
つまり
科学的発想ができないことを痛感したんです。
ですから
理系の分野に進むのは無理。
文系学部を選択して
将来自分は
語学力をつけて
世界中の人と関わり合って
世界をまたにかける仕事
なんとなく
外交官になろうと思い
文系を選択して
学校に進路指導を提出しました。
でも
文系を選択したら
もう数学Ⅲ、物理、化学など
習うことがないので
理系にすすむ道は閉ざされる。
本当にそれでいいのか悩んました。
何回か進路希望の提出があり
いよいよ
最終決定と言うときに
僕は
今まで学校に提出した希望と選択した
真逆の
理系、選択科目物理、化学という
理系直球ど真ん中の選択をして
提出したのです。
その時は
医学部にいくために・・・と
心に決めての選択でした。
みんな
僕は文系でのコースを歩むと思ってたので
先生も友達もそして親も
その真逆の選択でいのか
僕に何度も何度も確認にしていました。
僕は
文系頭だから
理学部、工学部にはいけない
でも
人のために働く
医学部にいくために理系を選択するんだと
強い決心をしての選択でした。
その時
決めたのは
人のために働きたい
ずっとずっと自分の手に職を持ち
定年などなく
死ぬ日その時まで人のために働き続ける仕事をしよう。
そのための技術を勉強しようと思ったのです。
僕のこの職業理念に合う仕事が
僕には医者だという選択に結びついた瞬間でした。
見えていないのは人間だけ?
目に見えないものって
見えているもの以上にあるのではないかと
思ったりします。
実は
人間だけが見えてないのかもしれないし
見えないものがあると思ってるだけかもしれない。
虫は、人とちがって複眼と言われる目を持っています。
魚も魚眼と言うし
鳥も大空から獲物を見つけられるめを持っていたり
蝶は、紫外線が見えるそうです。
ですから、モンシロチョウは
紫外線を吸収する雄のからだは黒く見えて
逆に雌のからだは反射して白く見えるらしいのです。
このちがいは人間には全くわからない。
つまり
人間が見えているものが
すべてではないということです。
見えてないと思ってるのは
ひょっとして
人間だけなのかもしれません。
だから
見えないからないのではなく
僕たちが見る力がないだけなのかもしれません。
見えないから
すべて否定する
見える世界だけにこだわる
科学の姿勢も
軌道修正する時を迎えているのかもしれません。
今見えているものって
本当は見えてないのかも
真実は見えてない部分にあるのかもしれませんね。
だから
僕は診療中も
目に見える人のからだを診るのはもちろんですが
めにみえなていないもの
心、魂からの訴え、サインを
見落とさないように
全神経集中して診療しています。
死によって完成する
生きるとは何か
死ぬとは・・・・
この永遠の命題について
昔から
多くの哲学者を始め知識人が考え
各々の考えを残しています。
昭和の文豪太宰治は
著作「パンドラのはこ」の中で
こんな風に語っています。
「人間は死によって完成せられる
生きているうちは
みんな未完成だ。
でも、虫や小鳥は
生きて動いてるうちは完璧だけど
死んだ途端にただの死骸だ。
完成も未完成もない
ただの無に帰る。
人間はそれに比べると
まるで逆である。
人間は死んでから、1番人間らしくなる
というパラドックスも成立するようだ」と。
つまり
今生きているのは
何か目的をもち
自分を成長するために生きていると
太宰は考えたのだろうか?
死は終わりではなく
死をもって生きて経験したことが
意味をなす。
肉体以外に魂があること
魂の成長のために
生きているのだと言っているのか?
太宰治は
破天荒な人生を生きた方のように
僕は思うのが
何かの成長を意識して
生きてこられたのかもしれない。
太宰治が
魂のことを信じていたかどうか
確認する術は
今の僕にはないが
きっと人は
魂を持ってこの世に生きていて
死ぬと、肉体は死骸だけれど
魂はその後もいきると
考えていたのかもしれない。
太宰治の話を聴くことができるなら
是非きいてみたい。
あなたは、魂の成長を意識していきていたのですか?と
発熱は免疫力を上げるサイン
病気になると「熱」がでます。
高熱がでると不安になります。
熱が出たとき、病院を受診するのは
どんな時でも間違いではありません。
遠慮なく病院にかかって下さい。
ただ
熱=病気のサインだけれども
熱=悪いサインとは限らない
ということを知っておいて下さい。
熱は、
病気を治そうとしている
からだの免疫反応なのひとつです。
そこで
あわてて熱を下げてしまうと、
からだは免疫力を高めようと、
更に高熱を出そうとします。
熱を発生するには
全身のエネルギーを使うので、
体力を消耗します。
熱がある時動けなくなるのは、
体力を消耗しないで欲しいという
からだからのサインなんです。
熱以外のすべての症状も同じです。
症状は全て
からだがあなたを守っているサインです。
あなたを苦しめるため
症状があるわけではではないのです。
症状という
からだがあなたを守ってくれているサインを
素直に受け止め、
対応し治療することが早期治癒につながります。
当院では、
どんな病気に対しても
からだの発するサインを応える治療を行っています。
朝の便通で健康チェック
健康状態を知る
あなたのバロメーターはありますか?
健康チェックは
色々あることでしょう。
睡眠不足とか
おなかがすく、空腹を感じるかどうか
だるいとか
疲れやすい
何をしても楽しくないとか
千差万別あることでしょう。
でも
この体調がいいか悪いか
判断しているのは頭。
つまり自分の頭脳が、きちんと働いて
正しい判断ができているかどうかを
見ることになるでしょう。
自分の健康管理は
自分でしかわからないかもしれないけど
自分の頭で見て感じて
我々は頭で健康管理をしているのです。
そんな時
朝起きたときの、尿、便の状態をみることが
大事になってきます。
朝起きたときが
一番雑念が少なく
とても素直な状態で
いろんなことを判断できるのです。
ですから
朝一番の尿や便の状態をみて
今の健康状態をチェックするというか
昨日の生活を振り返り
自分のからだが一番ベストの状態で
あるために何をすべきかを考えるのがいいです。
そのために
朝の快便であることが
とても大事ですね。
笑顔が最高だから
定期的に
メタトロンに通われている患者さん
以前は、眠れない、めまいなど
仕事が忙しくて
腰も痛いし・・・・と
様々な不定愁訴が多かった方でしたが
定期的に通われて
毎回少しずつ症状の訴えが少なくなって
先日来られた時。
まず、チャクラを診てみると
どこも悪くない
7つあるチャクラがキラキラとしているぐらい
輝いているように
完璧な状態。
すごいですね
何かされたんですか?と尋ねると
ニコニコ、
これまた輝かしい笑顔を見せてくれた。
そのあと経絡や様々なツボを診ても
文句なしの状態。
エネルギーの流れは完璧。
これは
臓器の状態もいいにちがいないと確信。
すると
どの臓器もエネルギーの低下はない。
いい状態でも
メタセラピーをすると
50%もあがる(通常は20%程度)と
エネルギーが身体中にみなぎってくるのがわかる。
それは
からだがどんどん若返ってきていると
いうことにもなる。
その状態を見ながら
患者さんの表情はますます明るく
どこか
自信に満ちあふれた笑顔になる。
どうして、こんなにいい状態なのか
知りたくて
再度尋ねると・・・
笑顔でいるようにしているんですよ。
仕事場にも気のあう人が入ってきて
楽しくて楽しくて・・・
笑顔でいるとこんなに楽しく過ごせるんだと
実感したんですよ。
これからも何が起こっても
笑顔にいるようにします。
笑顔にいるだけで
こんなにからだ中のエネルギーがあふれることが
メタトロンをして確信しました。
これも
メタトロンが教えてくれたことです。
次のメタトロンの日まで
笑顔で楽しく過ごしてきます。
次回も楽しみです・・と笑顔で返られた。
笑顔のパワーを教えられました。
医の中の蛙
日頃生きていくためには
自分に囲まれた環境がある。
その環境で形作られた社会という世界の中で
人間は生きていく。
でもその社会に生きてくのに慣れてしまうと
その社会の外で何が起こってるのかわからなくなる。
医者の世界も
医者仲間ばかりの中にいると
視野がせまくなってくるので
視野を広げるために
医者以外の人と付き合う機会を増やしていこうと
努めている。
先日
ノーベル賞受賞された湯川秀樹先生が
大学時代から師として尊敬されてた
数学者岡潔先生の随筆を読んでいると
医者についてのことが
書いてあり
医者を、生命を見る鋭いご意見に拍手喝采
ここに書き留めておこうと思います。
「医者に、
生命とは何か、何をもって生きているとするか
ときいても、医者はわからないと答える。
これは
医学は物質科学であって、決して生命のことを
扱っているのではないからだ」と
言い切られている。
うーん、鋭い。見抜かれていらっしゃる
そして
次のように続く
「心臓の動きや脈拍は
生命に随伴した物質の現象にすぎない」
と断言。
なら生命とは・・・こんな風に表現されている
「冬枯れの野の大根やネギでも生きているのだ。
生命を感じる人は
その大根やネギでも生命の緑の芽のように
青々としているように見えている。」
目に見えるもの
今の症状、検査結果、画像だけが
生命ではない。
そこばかりに囚われてると
真実の真善美を見落とさない
心眼が曇ってしまう。
キリスト教には次のような言葉がある
「天つ真清水受けずして
罪に枯れたるひとくさの
栄えの花はいかで咲くべき
そそげいのちの真清水を」
医の中蛙にならないように
真の真実を受け入れられる
柔らかいこころでいたいと思います
考えるからの語源から知る神の存在
宗教政治との関係が
世間を騒がしているけど
宗教と政治の介入は今に始まったことではなく
今年の大河ドラマを見ても
権力者が宗教と関わりをもっている
場面が描かれることもあります。
仏教、キリスト教など
神様を敬っているのに
なぜ争いが起こるのか
不思議でもあります。
宗教には
キリスト教、仏教、イスラム教など
様々ありますが
日本人がずっと信仰していた宗教は
神道といわれています。
いわゆる神社にいらっしゃる神様ですね。
神道は
他の宗教とは違って
開祖がいません、教義もありません。
すべて神も教義も生活の中にあると考え
すべての教えは
「人々の暮らしの中で絶えることなく
連綿と受け継がれてきた信仰風習」だと考え
神様はひとりひとりの心の中に
いらっしゃるので
目の前の人を尊重し、大切にして
ずっと生きて生きていくことが
先祖代々、日本人には引き継がれてきたのでしょう。
教義はないので
自分で考えて内なる自分、神様と相談し
行動することが大事なことだと考えました。
ですから
「考える」は「神迎える」から発生された言葉です。
考えることは、自ら神に返る、
自身を神にとってかえることで
よりよい手段、方法を導き出すことなのです。
神迎えるとは
自身の肉体を神の宿る社とし
神様をお迎えすることなのだとしたら
自分のからだを大事にし
相手の考えを尊重して生きていけば
様々な争いって起こりにくくなるのかもしれませんね
病気になったのは理由がある
自分も病気を経験して
気づいた一番のことは
人のからだはどんな状態になっても
常に自分を守るように働いていること。
そして
病気に偶然になることはない。
病気になったことで
僕に気づいてもらいたいことがあるから
病気になったことにきづきました。
病気になったとき
病気の重い、軽いに関係なく
偶然病気になることはないのです。
どんな病気でも
病気になる過程を歩んで
なるべくして病気になったと考えていいでしょう。
ですから
病気の治療をする時に
病気になるべく歩んできた過程が
何であるかに気づくことが
大事なのではないでしょうか。
医療は
今の患者さんを苦しみとなる症状を
取り除くのが
第一目標になっているので
取り急ぎ症状を取り除く
対症療法が中心の医療になってしまったのです。
今の苦しみから解放することも
大事なことです。
でも、それで治療を止めてしまうと
病気の過程で、患者さんに知らせたいことに
気ずくチャンスを逃してしまうと
また同様のことをくり返し
また症状が出現しててしまうのです。
僕も
病気の時
これまでの自分の生活、思いを振り返り
反省し、改め
それに気づいたことで
新たな医師としての道、人間として
生きていくができています。
今は
それに気づかせてくれた病気に感謝しています。
そして健康に何も不安はありません。
もし、これに気づかなければ
今も苦しみの中にいたかもしれません。
病気になるには
それなりの理由があるのです。
今は病気になったことすら感謝の気持ちでいっぱいです。