「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
真理は更新される
コロナ禍でも
オンラインなどで学会に参加しています。
以前とは形態がちがっても
学会に参加することは大事だと思います。
学会では
様々な病気に対する
最新の知識を勉強しますが
ある学会では
医学の本質を語られた
二人の大先輩の言葉を実感させられた
時間でもありました。
二人のうちの一人の言葉は
ハーバード大学の医学部長であった
シドニー・パーウェルが
1935年から1949年
医学部生の卒業式で学生に贈った言葉
「医学は進歩し
真理は常に更新される」です。
教科書に書いていることの半分以上は
将来間違っていることが証明されるという
つまり
真理は常に更新され続けるものである。
医学の進歩を日々学び続け
常に最新の適切な知識に基づいた
診療を心がけなければならないと
これから医者になる学生達を戒めた言葉。
今回の学会で
その言葉が身に沁みた。
これまで、離乳食を早くはじめると
アレルギーが発症するリスクが高まると
言う考え方が主流で
その考えによって診療をしていましたが
今回は、
アレルギー発症にリスクのある食べ物でも
少量でもいいので早期にはじめた方がいい
と言う考え方でした。
明日からの診療の方針が
大きく変わるようなことでしたが
医学は進歩し
教科書はいつか書き換わる時を迎えることもある。
今真実と思っていることは
本当に真実なのか?
今常識と思っていることは
本当に真実なのか?
今目に見えることだけが
本当に真実なのか?
科学を究め
真実を見極めるためには
素直なこころの目が必要なのだと
しみじみ思いました。
そして
もうひとり
紀元前の古代ギリシャ時代に活躍した
医聖と呼ばれるヒポクラテスの
教えもいただきました。
学会参加するとは
医者の意識・知識を整理、浄化する
大事な時間です
愛の形
最近新聞を読むと
目につく記事。
「年間出生数81万人に現象」
「3組に1組が離婚している」
「離婚後の親権は単独親権?共同親権?」
「同性婚を認める?認めない?」
「20代独身男性の4割が
女性と付き合ったことない!」
など
結婚、出産に対しての
記事が、職業がら気になるだけでなく
これからの社会を憂える点からも
気になる。
国も大変だと
補助をしたり、保育園の整備
家庭庁の新設など
対策はとっているが
その裏にあるのは
税金が減る、年金で支えられなくなる・・・など
それも大事なことかもしれないけど
そんな目先の改革だけで
大丈夫なの?
結婚、こどもをどこか
自分の都合で考えてるような気がして
制度だけでなく
気持ちから変えていけないと思う。
かつては
こどもができることは神聖なこと
そして
愛の結晶(もう古い言い方?)を育むために
男女が愛し合い、結婚する。
その点を
ひとりひとりが
忘れてきているような気がする。
この人と生きていけたら
この子さえいてくれたら
どんな状況でも生きていける。
結婚を考えるときに
自分自身の時間がなくなる
自分の自由なお金がなくなる
自由に仕事ができなくなる
など
今の生活を変えたくない
いわゆる守りの生きようとする人が
多いような人がする。
こどもが生まれる意味を
根本から考える時期に来ているだと
思う。
子宮は神聖なもの
生まれてきたこどもは
胎内記憶がある
私は前世の記憶がある
スピリチュアルと言われる
考え方がある。
それが正しいかどうか
誰にもわからないが
そのスピリチュアルの考え方があると
今を生きることが貴重な時間
今過ごしている人との生活が
愛おしく
どんな状況でも共に生き抜こうとする。
その思いが生まれる根本にあるのは
「愛」の気持ちではないでしょうか?
「愛」を学ぶために僕たちは今生きている
・・・と考えられたら
何の不安もないしあわせな人生になると思うのです。
神秘体験
僕は病気をしてから
目には見えないけど
心で感じられる真実と思えることが
日々感じることが増えてきました。
そのことが大切に思えたので
日々、通常の医師は語らないことがないようなことを
ブログに書いています。
僕の書いていることを
不思議なことをいうなぁとか
そんなことはないと否定される方も
いらっしゃるでしょう。
でも
そうだと受け入れてくれる方もいらっしゃいます。
最近は
スピリチュアルブームであり
目に見えないこと
魂のことを語る方も珍しいことでもなく
本屋に行けば
多くのスピリチュアル系の本が並んで
次々に新刊が出ています。
それだけ
魂の世界にひかれる方が
多いからではないでしょうか?
魂の世界
スピリチュアルの世界を信じても
僕には
見えない物が見えるとか
触れただけで病を治せるとか
未来を予想することができるとか
不思議な力は
何一つ持ち合わ せていません。
ごくごく当たり前に過ごしている
普通の人間です。
特別な奇跡的な神秘体験をしたこともありません。
ただ、言えることは� 大病を患ったけど
今をこうしていきているということだけ。
精神科医であった神谷恵美子医師が
著書のなかで、こんなことを書かれていました。
「神秘体験は、多くの場合
人が人生の意味や生きがいについて
深い苦悩の中に落ち込み
血みどろな探求を続け、
それがどうにもならないどん詰まりまでいったときに
始めて起こる」と仰ってます。
つまり
これまで経験したことのないような
苦難を乗り越えたときに
神秘体験が起こる。
小さい自分という
自己を越えられたという出来事を
神秘体験だと人は感じるのだというのです。
僕も大病という
これまでに経験したことのないような出来事に直面し
心の中に肉体をいう物質的な価値観から
魂という
精神的な価値観の存在を体験し
価値体験の変換が起こったから
今、感じることを
みなさんに伝えているのだと思う。
重い苦しみを経験した人は
他人の評価や自分の所有する物に
重きを置けなくなり
新しい価値観で生きていこうとする。
これが
人々の言う神秘体験であり
誰にも経験する可能性のあることでもある
そして
僕もこの経験をみなさんに伝えるために
ブログで発信しています。
これからもよろしくお願いします。
剱岳 点の記
久しぶりにこころ震える映画だった。
2009年の映画のようだけど
立ち見も出るほどの満員の観客で
見たければ
DVDなどで手軽に観れるはずだけど
やはり大画面で見たい人が
多い現れだと思う。
その理由は
この映画が
今流行のCGを使った映画でなく
全てが現地のロケによって
作られた映画であるから
その演技でない生の表情が
リアルなものと感じるのだと思う。
物語は前人未踏の登山を命をかけて
取り組む男達の話。
今は
一般の人でも登れる山。
僕が知ってるだけでも
登った人は何人もいらっしゃる。
でも、その困難さは
写真を見ただけでも伝わり
いただきには1人上がれるほどのスペースなので
順番にあがる
僕にはとても無理な山です。
その山にどうやって登るか
一つの団体は
日本地図を作るために
測量目的で
日本軍の威厳のためにも剣岳初登庁を目指す
日本陸軍の測量隊。
とそれに登山を目的とした
山岳隊との
初登庁を目指すパーティとの
威厳をかけた戦いの映画出会った。
それにしても
自然の力は偉大。
突然の吹雪、目の前にはだかる岩の壁
何者かが
登頂するのを阻んでるかのように。
でも、登頂する目的を果たすために
果敢に綿密に取り組んでいく。
でも、この阻む自然の神の前で
こころが折れそうになる。
そんな時に
気づくのです。
「何をしたかより
何のためにしたかが」
大切であること。
大自然の中で
こんな危険な目に遭いながら
地図を作るために
測量しないといけないのか
と悩む測量隊。
でも、測量の、地図作りの本当の意味に気づくのです。
「地図は
今生きている自分が
地球に生まれて、
地球のどこで生きているかを知る
ためにある。
地球で生きる自分の魂の場所を
はっきりさせるために
必要なものだ」と
気づくのです。
人のために目的を果たそうとする人に
神様は力を貸してくれる。
剣岳の神様は
測量隊んぽ登頂を許したのでした。
初登庁のはずでしたが
実は初登頂ではなかったのです。
エンドロールを見ながら
映画の中で行者さんが教えてくれた
剱岳登頂のための極意の言葉
「雪を背負って昇り
雪を背負って降りろ」が
よみがえってきました。
自然の神様のお許しがあれば
人生の夢を叶えるのだと。
神頼み
神頼みという言葉があるように
お願い事がある時は
神社を参拝しようと思われる方は
多いことでしょう。
僕も
何か困ったことがあると
神様のことを思い出して
手を合わせることはよくあります。
お願いごとをしながら
なんて僕は都合がいいのだろう。
自分が困ったときだけ
神様のことを思い出して
神様も虫がいいなぁと思わないかなぁと
怒らないかなぁと
神様のご機嫌を損ねないように
しないと思うことがあります。
神様は
確かに心根の美しい人が好きだと
聞いたことがあります。
心根の美しい人しか
願いは神様に聞き入れてもらえないのでしょうか?
腹を立てたこともない
けんかをしたこともない。
僕も
たまには家族とも口論になることもあるし
たまには口から愚痴が
飛び出してしまうこともあります。
こんな僕だったら
神様は相手にしてくれないでしょうか?
神様は
僕たちが考えるよりずっとこころが広いのだと
聞いたことがあります。
だから
何をどうしたこうしたという
細かい行為で神様はその人を
判断しているわけではないらしいです。
だからといって悪口を言っていい
小さいことでもむっとしていい
という訳ではないだろうけど
守ってくれる判断にはならないということなのです。
神様は
もっとその人の心の底を
見てらっしゃるような気がします。
色んなものに対して
思いやりや慈悲の心を持つ。
神様を含め何事に対しても
感謝のこころを忘れない。
そして
神様の前では素直に
なんでも話してみて下さい。
なぜ、今日この願いを叶えたいのか
説明すると
神様はきっと力になってくれますよ。
神様は
きっと人とご縁を結びたがってると思うのです。
今日は七夕
素直な平和な気持ちで過ごしましょう
自分を信じる
人は
困ったことや、
願いがあるとき
病気になったときなど
神社に行って
神様にお願いをするということをします。
神様も
自分が信じている神様に
手を合わせることがほとんどでしょう。
神様に
ご自身の願いを聞いてもらおうとする行為は
決して間違っているわけではなく
悪いことでもありません。
でも
神様に頼むときでも
忘れてはいけないことは
「神様にお願いしたからといって
自分を信じることを減らしてはいけない。」
ということ。
自分を信じる気持ちには
力があるということ。
神様を信じる信仰心と
同じぐらいの力があるということ。
つまり
信じる気持ち、信仰心を
自分に対してもつ
すなわち
神よりも何よりも、まずは
自分自身を信仰するということが
大事なのです
才能が10点満点の10点
でも自分を信じる気持ちが5点の人と
才能が5点しかないけれど
自分を信じる気持ちの人が10点の人は
後者の方が成功するのです。
何事にも成功するコツは
自分自身の力を100%信じられることなのです。
科学の先にあるもの
僕は日々医学という科学を
ベースにした医師を
この世での生業にしています。
患者さんと向き合うときは
人類がもっている
科学の知識を総動員して
患者さんの苦しみから脱せられるように
目的に働いています。
しかし
患者さんの苦しみは多岐にわたり
科学の知識だけでは
説明できない問題に
ぶち当たり、
自分の非力さを突きつけられる場面もある。
そんな時に
我々も含め、自然を動かす
大きな力が働いているのではないかと
感じることがある。
神、宗教という力が
我々の生きる根本に働いていることを
根源にあることを感じる。
あの天才物理学者のホーキング博士は
「宗教というのは必要である
しかし、宇宙の始まりについては
神は必要ない」と
宗教の必要性を認めつつ
科学と宗教をしっかり区別できていることが
この博士の言葉から読み取れる。
自然と共に生き
その自然の力から神を感じるのか?
残された言葉から
とてもこころに響くことばを
投げかけてくれる人々がいる。
それはネイティブ・インディアン。
文明は未発達だからこそ
感じる純粋な言葉にこころ惹かれる。
そんな彼らが宗教について
次のように語っている。
「宗教の出発点は、第一に
自然界をありのままに見て、しかも。
これは駄目だといわないことだ」と。
つまり、自分にとって
不幸だと思えることが起こっても
その不幸をありのままうけいれ
どうして、自分だけ・・・などと嘆かず
これも現実、苦しくても
受け入れようと思うことがまずは大事なのだと。
そして、受け入れた後に
訪れる第二段階
「だけどその宇宙の大きなからくりの中では
この苦しい現実は幻なのだ。
だから、この苦しみはとにかく受け入れよう。
来世こそが本当の世界で
そこでは必ず救済される。
だからこそ、この世で悪いことをするのをやめて
耐え忍び、
来世での救済を待つのです」
科学は
今起こっていることをありのまま受け取る
こと。
そして、受け入れた後
なぜそのことが起こった意味を考えるのに必要なのが
宗教。
ですから
科学の先にあるのが宗教なのでしょうね。
自分に暗示をかける
これまで何度も
言葉には、言霊という
力があるから
いい言葉を話しましょうという
ことは何度もお話しました。
いい言葉を話すと同様に
自分に暗示をかけるのも
言霊と同じように力があるのです。
あなたは
パソコンが苦手
運動が苦手
数学が苦手・・・など
自らの口から上のような苦手意識を
口にしていませんか?
99才まで長生きされた
瀬戸内寂聴さんが
長生きの秘訣について
次のように話されていました。
「なぜ、私は病気をしても
死なないのかと思いを巡らすと
一つの答えがでました。
私は病気が嫌いである。
病気になった自分を見苦しいと思い
一日も早く、その状態から逃れたいと思う。
病気を呼ぶ
自分の老衰も嫌いである。
老体を美しいとは思えない
わが老衰を
これ以上見苦しくならないうちに
死んでしまいたいと思う。
ただ痛い目にあって、苦しんで死ぬのは
ごめんです。
死ぬとき、痛まない、苦しまないように
心臓の手術をしてもらいました。
いつの時も
私はらくな法へと希望して
苦より楽を選んで生きてるから
長生きできているのです」
作家として
なくなる直前まで
多くの言葉、文を残された瀬戸内寂聴さん。
一般のひとが語ることができなかった
生への真実
誰もにも訪れる老いについてのことを
今生きる僕たちに教えてくれています。
病気を嫌いだという生き方
自分を苦しめない、自分を大事にして生きることが
長生きの秘訣かもしれないと
寂聴さんの言の葉を読みながら
自分自身に暗示をかるのでした。
自然現象で感じる神様の慈悲
7月になったばかりなのに
もうすでに梅雨が明け
史上最短、最小の降雨量での
梅雨明けでした。
梅雨明けして日本中で真夏日を記録中
天気の報道と同様に
電力不足を懸念する報道が目につきます。
節電をすすめるけど
なぜか、テレビの視聴時間については
全く触れません。
この報道ちょっと不思議な感じがします。
この夏を乗り切るために
ひとりひとりができることに
取り組まないと
大変な夏になる可能性もありますね。
でも
考えてみると
雨も天候もすべて自然現象
自然現象に対しては人間は無力です。
自然の驚異を思いっきり思い知らされたのが
「東日本大震災と津波」でないでしょうか?
多くの犠牲者がでて
その傷跡はまだまだ癒やされていません。
でも
同じ東北でも
被害が大きかった場所、なかった場所
被害に遭われた方、難を逃れた方も
いらっしゃいます。
そういえば
不思議に被害に合わなかったという
ことを聞いたことがあります。
神社は、きっと昔から
ちょっと高台にあって
地盤の安定しているのが神社の場所。
だから、災害があるときは
神社に逃げるのがいいかな?と
神社っていいところなんだと思ってました。
その時、神社の神様はどうされたのかと
疑問に思われて
東北の神社を回られ、その時の神様とのことを
記された
桜井識子さんの「神仏のなみだ」を
読みました。
桜井さんは
不思議な方で、神様と対話されたことを
本で紹介されています。
この著書で
津波の災禍を逃れた
どの神様も疲れた状態で
言葉も少なく
杖をつき、歩くのも大変な状態
おいなりさんの毛並みもボロボロの状態。
神様が
まさにからだをはって
僕たちを守るために
津波を止めようとし
人を助かるように誘導したそうなんです。
でも
自然の力は
神様の力、神様が力を合わせても
完全に防ぐことできないほど
大きいのです。
そんなこと知っていても
ただ人を救おうと思い
我が身を惜しまずに
防いでくれたんです。
だからからだはボロボロで
そのからだが元に戻るのには
30年~50年はかかるとか?
こんな神様の慈愛の話に触れて
神様に感謝して
手を合わせるしかありません。
今回梅雨があけて
今後自然災害が襲ってくることもあるでしょう。
でも
どんな時も神様は守って下さるのです。
だから
神様に感謝して生きなくてはいけないと
思うのです。
神様を感じて欲しい
世界には
数多くの宗教がありますが
宗教と認められるために
どの宗教も
絶対真理を学び、信じて
日々実践していき、いい人生を過ごそうと
しているのです。
だいたいどの宗教でも
根源的に神様というか
絶対真理は
目に見えないものように作られているようです。
なぜか?目に見えないものを
信じられるのか?
以前、このブログにも書きましたが
目で見て感じるのではなく
惑わされずに感じるもので
あって欲しいからなのでしょう。
実際目に映ってしまうと
各人各様であって
自分勝手に見てしまうからなのだと思うのです。
見てしまうと
自分の都合に合わせて
自分だけの神像を作ってしまう。
ですから
神は人々に
姿を見せないようにしているのでは
ないでしょうか?
神様を感じるのは
音を通して、声で
つまり視覚よりも聴覚を優先に
コンタクトして来られるのでしょう。
見えてしまうと
その見えた神しか信じられなくなる
それだけならいいけど
その姿が頭の中にどっかり腰を据えてしまい
大きな存在の神様が
あなただけに「都合のいい神様」に
作り替えられてしまうかもしれません。
だから
姿をお見せになりません。
でも、神様は確かにあなたのそばにいらっしゃるのです。
あるときは
風となり、蝶となり、
光となり
またあるときは
龍となり、
あなたに語りかけてくるでしょう。
その神様を感じられるように
目で見るのではなく
こころで感じるのが本当の神様なのでしょう。
今も
あなたの側にいらっしゃいますよ。
感じますか?
是非感じて下さい。