「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
天才になるチャンスは誰にもある
世の中には
天才と言われる人がいる。
ソクラテス、レオナルドダヴィンチ、ニュートン、
など多くの方が天才として
知られている。
天才は著名人だけでなく
あなたの周りにも
この人すごいなぁ、天才だなぁと
思う方がいらっしゃるかもしれません。
あなたがすごいなぁ、天才だなぁと
思われる人は
どんな人ですか?
僕は天才とは
次の2つの要件を備えたひとを
いうのではないかと思うのです。
第一の要件は
努力を続けられる人
第二の要件は
努力できることをを発見できる人。
つまり、人が見過ごしている
努力すべきことを努力している人
ってではないかと思います。
努力を努力と思わせない人を
天才と感じるのかもしれません。
我々凡人にとっては
努力を続けるのは並大抵なことではありません。
天才は
努力を努力と思わずに
突き進んでいく人なんでしょうね。
努力を努力にしないことが
天才になることだとすると
努力していることを
習慣化すればいいのではないでしょうか。
つまり
毎日15分でもいいから
続けて習慣化すると
あなたが天才になるチャンスが
訪れるのかもしれませんね。
努力することをみつけ
努力を習慣化していきましょう。
自分との約束を守る
やってはいけないことって
世の中にたくさんあるけど
どんなことがあっても
やってもらいたくないことがある。
それは
自分にうそをつくこと
自分にうそをつかない方法って
色々あると思うけど
まずやってもらいたいのは
”自分の決めた約束を守ること”
自分との約束って
例えば
朝6時に起きる、帰ったらすぐ宿題をする
寝る前に明日の準備をする
お友達と仲良くする
・・・・
その約束はどんなことでもいい。
でも、どんな約束であっても
自分とした約束は絶対守ることが大事。
どうして、自分との約束が大事か?
自分との約束を守るということは
自分自身に勝つということ。
己に勝つことができれば
相手がどんなすごい人であっても勝つことができる。
自分の心さえ操れない人が
いつも妥協している人が
他の人に勝つことができますか?
”自分への一敗は
世界すべての全敗に等しい”と
おっしゃる方もいます。
自分との約束が果たせないって
とても大変なことなんですね。
最近自分とどんな約束をしましたか?
その約束は守れましたか?
日々、チェックしていて下さい。
誰もチェックはしてくれません
自分自身で、正直にチェックしてみて下さい。
自分を守れるのは
自分しかいません。
自分自身を裏切ってはいけません。
自分自身の約束を
やり切ることが
まず最初にすること。
その自分との約束を
いくつも重ねていけば
やがて
習慣になり
己の成功へと続くのだと思います。
チャクラからみた腰痛の原因
僕は内科医ですから
外科疾患は診ていません。
でも
足が痛い、腰が痛いと訴えられる方は
とても多く感じられます。
腰痛の原因は
腰の骨が弱くなっていたり
筋肉の衰え
神経の問題など
外科医が得意とする領域に
原因があることもあります。
その他にも
膵臓、肝臓、腸、胃などの
内蔵疾患が原因になることも
あります。
内科的疾患によるものか
外科的要因によるものかを
考え鑑別しながら
腰痛の患者さんを診ていきます。
ただ
腰痛をお持ちの患者さんは
実感されている方も
多いでしょうが
外科に通っても
整体にいっても
またすぐに悪化してしまい
なかなかスッキリ治らないのが
腰痛の苦しみではないでしょうか?
そんな時
メタトロンで
チャクラを診ると
西洋医学観点から
腰痛の原因にアプローチすることができます。
腰痛の原因は
先ほどあげた器質的原因の他に
3つの要素があります。
1つめは
与える立場を好み
好意を受けとるのが苦手な人。
つまり
「~してあげなくては」「~するのが当然」と
相手に対して
よい父、母、妻でであろうとする傾向にあり
かいがいしく世話を焼きたがる人です。
ひと言で言うと
休んでいいよと言われても
頑張りすぎてしまう人。
2つめは
完璧主義の人です。
何でも自分でやらないと
気が抜けない人。
3つめは
助けて欲しいのに
助けてと言えない人。
この3つの要素をもつ
生き方が腰痛の症状が出てきます。
でも
このことは
レントゲンを撮っても
血液検査をしても認めることは出来ません。
そのとき役に立つのが
メタトロンで診る
チャクラの状態です。
チャクラとは
古代インド伝承医学の考え方。
からだの7カ所に点在する
生命エネルギーの拠点と言われる
場所があり
その7つのチャクラの状態をみることで
あなたの心の状態が
肉体の状態にどう影響しているか
知る手段となるのです。
腰痛の原因となる3つの要因があると
丹田にある
第2チャクラを不安定にさせてしまいます。
その結果、
巡るべき生命エネルギーが滞り
第2チャクラを不安定にさせます。
第2チャクラの不調が腰痛を引き起こすのですね。
原因不明の腰痛にお悩みの方は
一度チャクラを診られたらいかがでしょうか?
サンタブログ20220507
占い
人は人生に迷ったり
今後の進むべき道の岐路に
立たされたとき
親や師、先輩、上司、友人など
様々な人に相談することがあるでしょう。
でも
自分の心の内を
決断する時は
自分で決めないといけないこともあり
その様なときは
人に相談できないこともあるでしょう。
決断の時に
その決定の方法の一つに
占いにたよる人もいるでしょう。
占いにたよることは
今に始まったことではなく
古代から
そして
皇室でも占いを使って
行事を勧めることもあるようです。
占いは
僕たちの生活に根付いています。
そして
占いには
星占い、易占い、姓名判断、手相
タロット占いなど
様々なスタイルがあります。
そして
当たらぬも八卦、当たるも八卦という
言葉もあります。
迷ったときに占いをたよるにしても
どの占いをするかも迷います。
そんな時
占いは
ハッピーな答えをもっている占いを
信じればいいのです。
占いにいくというのは
まだ、未来が確定していない
できていないということだから。
占い師に未来を確定してもらうことで
今も確定するからです。
だから
明るい未来を描くことができれば
今が変わり
明るい未来にむかって動き出すのです。
あなたが思うとおりに
人生は変わります。
だから
明るい未来にむかって
今日も笑顔で進んでいきましょう。
見ると観ると診るの違い
本を読んでいたら
見ると観るとの違いが書いてあった。
「見る」という言葉は
今、目の前にあるものを「みる」こと
そして「観る」という言葉は
単にものを「みる」のではなく
「みえてくる」ということを意味していると。
だから
「人生見」ではなく
「人生観」なんですね。
生きていると
同じ物をみても
見えてくる風景はちがってくるもの。
旅をしても
年代やその人の生活、考えで
見えてくる風景や感じ方は変わってきます。
だから
遠足や修学旅行のように
旅そのものが目的
仲間との旅との思いでだけが
目的ではないと思うのです。
旅の言い方として
「観光」という言い方があります。
名所を次々訪れることではなく
旅をしながら
「光」を「観る」のが
観光旅行の本当の意味ではないでしょうか。
「光」にも
様々な意味があります。
時代のなかには時の権力者の
威光を感じるかもしれません。
光景かもしれませんが。
忘れてはならないのは
旅している私たちの心の風景では
ないでしょうか?
旅とは
行く先々のの光景を通して
自分のこころの中を
見つめようとする営みかもしれません。
そして
医者である僕が診ているもの
それは
人生を旅している光景を
その人のからだを通して診ているのかもしれません。
診るということは
こころもからだも
全て患者さんが感じている光景を
同じ視点で見ることだと思うのです。
患者さんと
人生を共に歩むことが
医者の診るということだと思うのです。
サンタブログ20220430
誰もが天才
誰にでも
未知なる力を秘め
誰もが平等に
生きていく目的
使命を果たすために
この世に生まれて来たのです
その使命を果たすために
僕らは生まれてきたけれど
その使命を果たせるかどうかは
その人の生き方にかかっています。
そして
傍から見ると
ご自分の使命を次々に果たすひとをみると
この人は天才ではないかと
我々は思うのかもしれません。
だから
誰にも天才になるチャンスは
あると言うことですよね。
なら天才とは
どんな人を言うのでしょうか?
天才とは
二つの要件を備えた人だと思います。
ひとつめの要件は
努力を続けられる人。
二つめは
努力を発見する人。
つまり
自分の使命に気づいているので
天才がやってることは
努力を努力と思わないのでしょう。
やるべき当たり前のことをやってるだけ
それが他の人からみると
努力を続けていると思うのでしょう。
努力を発見するとは
人のしないことやらないことに
努力すること。
これも自分自身が決めたことだから
自然に発見して努力することになるんですね。
また
天才は
努力が習慣化されていると思います。
これも
やると決めて生まれてきて
やることをやってるだけだから
習慣なんですよね。
あなたが夢中になって
頑張ってることって
あなたの使命なのかもしれません。
使命を見つけ
それに向けて行動している人を
人は天才と言うのだと思います。
種まき
必ずあたえられたものがあるはず
人にしてもらったら
手を合わせて
必ずありがとうと言おう。
ありがとうを言えたぼくも
ありがとうを言われた人も
きっと、喜んでくれる
ありがとうの一言で
喜びの輪が広がってくれる
感謝の気持ち
感謝の一言で
喜びの種
しあわせの種を
まくことができる
ぼくにも、あなたにも
必ずあたえられたものがあるはず
人にしてもらったら
手を合わせて
必ずありがとうと言おう。
ありがとうを言えたぼくも
ありがとうを言われた人も
きっと、喜んでくれる
ありがとうの一言で
喜びの輪が広がってくれる
感謝の気持ち
感謝の一言で
喜びの種
しあわせの種を
まくことができる
今ここにいるのも
今こうして生きているのも
あなたのおかげです。
あなたからいただいたありがとうの種を
もっと大きなありがとうの種に変えていくのが
僕が種まきをする理由菜なのだと思う。
なぜ働くの?②
人は日々働いている。
何のために働いている?
生きるためにお金を稼ぐため
人生を豊かにするため
社会の、人の役にたつため
仕事の目的は
人それぞれで千差万別かもしれません。
経営の神様と言われている
松下幸之助さんのこんなエピソードがあります。
工場ででつまらなそうに
電球を磨いている社員さんにむかって
「ええ、仕事をしてるな。
君のおかげで、
こどもたちは夜遅くまで勉強できるんやで。
女性は暗い夜道を安心して
歩けるんやで。
君がしているのは
人々を笑顔にする仕事や」と
語りかかけたそうです。
幸之助さんは
仕事の本質を伝えたかったのだろう。
どんな仕事でも
その仕事の先には
その仕事によって
喜びや安心を受け取っている人がいる。
その人が笑顔で過ごしているかを
創造して仕事をしていると
温かい気持ちになりませんか?
きっとあなたのお仕事が
その人の暗い気持ちを
明るくしてるかもしれません。
「ありがとう」という言葉が
聞こえてきませんか?
僕も
患者さんと接する時間は
患者さんの生活の中からすると
ごくごくわずかな時間かもしれない。
でも
その時間が
出会った先に明るい光と
なればいいなぁと思っています。
働くとは
「傍を楽にするという。
でも、その楽は肉体だけのことではない。
重いこころまで
楽にすることなんだ。」と思うのです。
なぜ働くの?①
自然界には存在せずに
人間が自分たちが
生活していく中で
生み出したもののとして
時間とお金がある。
物を得るために便利なものとして
お金を生み出し
決まった行動しやすいように
時間という概念を作り出した。
お金を持つことで
物々交換しなくても
欲しい物を手に取ることができるようになり
時間という概念を共有することで
みな決められた時間内で行動できるようになり
共同生活ができるようになった。
自然界には
朝、夜という時の流れはあるけど
曜日もない月日もない
あるのは、感じられる物は
今という時しかない。
過去も未来も頭で考えたもので
実際に触れることはできないもの。
時間やお金をもつことで
人々は協調性をもって
平和に暮らしているかというと
そうではない。
お金をもつことで
欲が増長され
時間には追われるようになってしまった。
自然界にはなかった
お金や時間ろいうもの
価値観が人間自体を苦しめている。
時間、お金のない世界が
本当に人にあった自然な生き方なのかもしれない。
実際に時間がないのなら
なぜ、人は年をとるのか?
老化は時間の流れではないのか?という
疑問がでてきます。
シワやシミなどに代表される
老化現象は、
時間とは無関係なんです。
老化現象は
宇宙から大量に放射されている放射線が
常にからだの中を通り抜けていて
その生で細胞のDNAが少しずつ傷つけられ
ために起こっているのです。
時間が経ったせいで
老化現象が起きた開けではないのです。
高い空を飛んでいる
パイロット、キャビンアテンダントさんは
老化しやすいといわれています。
このように
時間は人間の頭が創り出した概念。
その概念に人は苦しめられているのかもしれません。
そこから脱却するためにも
今を一生懸命生きることが
重要になってくるんでしょうね。
サンタブログ20220425
いのちは地球より重い
コロナのパンデミック中でも
人々は争うことはやめない。
命を傷つけ合う。
命を守るために
世界みんなで一つにならなければいけない時なのに。
様々な考え方があると思いますが
ひとりひとりの命に対する考えのちがいが
行動に現れてくるような
気がするのです。
人は生きていくために
様々な気持ちを持って生きていってます。
僕は
人間が生きていくには2つの面が
必要であると思います。
ひとつは
衣食住という動物的欲望を満たす
いわゆる生活面を重視する面「生活体系」
そして、もうひとつは
真善美を求めて行動する人格を形成する
いわゆる生命を重視する面「生命体系」
この両面から
いのちは支えられていると思います。
もう少し具体的に言うと
生活体系とは、いのちを支えている活動のこと
つまり
利益や欲望を充足させるという経済法則を重視したもの
これに対して生命体系とは
いのちは尊いものだというような
親子のつながり、日本で生まれたことによって
培われた道徳的なつながりとも言えるもの
この2つの体系、価値観の中で
僕たちのいのちは支えられ
生きているのだと
改めて自覚させられた気がします。
昭和50年代に
日本赤軍がダッカで飛行機をハイジャックし
身代金などを要求したダッカ事件がありました。
その時の総理は
「人間のいのちは、地球よりも重い」と
様々な批判を交わして
16億もの身代金を決断して
乗員乗客のいのちを救ったと聞きました。
今回の政府の動きは
ダッカ事件の時とは異なり
いのちだけでなく経済重視するあまりに
迷い行動できなくなってるように
僕は見えてしかたありませんでした。
ダッカ事件から時は流れ
時代は昭和から平成、令和と変わり
その間平和で豊かな時代を過ごしすぎて
明日の喜びより、今日のパンを求める生き方を
してきた日本人の体質が
決断できなくさせているような気がします。
人はパンがなくては生きていけないけど
パンを美味しく、そして有り難いと思える気持ちを持って
僕たちは生きていかなければならないってことに
気づき、その気持ちを大事にして
これからは生きていかなければならないのでしょうね。