「真実の医療」カテゴリーアーカイブ
偽の記憶~フォールス・メモリー~
コロナ感染の動向が心配な中
ロシアによる
ウクライナ侵攻の報道がなされ
次々に僕たちだけでなく
全世界が不安の波が押し寄せています。
世界がどんな状況にあるかを
僕たちが知る手段としては
テレビや新聞、そしてインターネットで
報道される情報を
間接的に知るだけで
真実はどこにあるか確認する術は
僕たちにはありません。
そんな時
ノーベル賞を受賞された
利根川進先生の提唱された
「偽の記憶(フォールスメモリー)」を
思い出しました。
これは
被験者にうその写真を
何日にもかけてくり返し見せながら
それが過去にあったこととして
繰り返し話をしていくうちに
被験者もそれが実際にあったことと思い込み
偽りの記憶(フォールスメモリー)が
現実のできごととなることがあるのです。
このことは
我々の脳には
実際の行動よりもフォールスメモリーによって
規定されることがあると言うことを
覚えていないといけない。
情報が氾濫する世の中だからこそ
自分の目で手で確認することが
重要になるのだと思います。
今人々の平和を脅かしている
ウクライナ侵攻や
コロナ感染に対しても
人人が平和な道を歩むことを
惑わさないように一日も早く終息することを
願うばかりです。
全てのことは見えていない
コロナのパンデミックになって
様々な行動は制限された。
日常生活の面でも
仕事の面でも
現在と以前とはかなり違う。
仕事の面では
学会に行く機会がかなり減ったというか
ほとんどなくなった。
でも
最新の知見を勉強しないと
医学の発展に取り残され
患者さんにとっても
いい治療をできなくなってしまう。
そう思うのは
僕だけでなく、
みんながそう思っているはず。
だから
最近では会場に行かなくても
勉強ができる
ハイブリッド勉強会が開催されるようになり
このコロナの時代でも
勉強を続けられている。
先日は
睡眠の分野における大家
神山明先生の講演を拝聴した。
最近は
こどもたちだけではなく
赤ちゃんの睡眠不足が問題しされている。
朝早く起きて
目が覚めたら朝日を浴びたらいい
夜更かしすると学力低下につながる
・・・なんて
言葉だけ読むと
ちょっとショッキングに聞こえるが
これは大変、
そこを是正しないといけないと思うが
神山先生は、その行動に注意を促された。
睡眠とは
とても個人差があるものだと。
夜型の人は
夜目が覚めるように体がなっている。
個人差があることを
知らないといけないと・・・
そして
睡眠は人間だけでなく
生物にとって当たり前かつ自然な行動。
からだはもっとも身近な自然であると。
からだはもっとも身近な自然であるから
①人は寝て食べて出して
初めて脳と体の働きが充実する昼行性の動物である
②寝不足は万病のもと
③最も身近な自然であるあなた自身のからだの声に
耳を傾け日々を過ごすことが大事
④からだを頭でコントロールすることは無理
⑤自分のからだを大事にして下さい
⑥最も身近な自然であるからだに、
畏れと謙虚さを持ちかつ奢りを捨てて
相対して下さい
最後の先生のまとめを聞いて
こころの中に何かが溶け込んできた。
幽顕の世界の境はどこ?
この世は全て
目に見える顕在の世界と
目に見えない核得れている幽の世界がある
といわれている。
もちろん
今生きているこの世界は顕の世界。
あの世、魂の世界は
幽の世界といわれている。
赤ちゃんが母親の子宮にいて
生まれてくるまでの世界は
幽の世界と言われている。
我々は
幽の世界でこの世に生まれてくる準備をして
この世にいきられる力を蓄えて
生まれてくる。
よって
生まれた瞬間に
幽の世界から顕の世界にいきていけるように
なってるのかというと
そうではないようです。
その境は
赤ちゃんの発達を観るとわかるます。
赤ちゃんは生まれた後
3か月になると
首がすわります。
心音セラピーをされている三門大慈先生によると
寝返りが打つまでは
泣いているときに
妊娠中の心音を聞かせると
落ち着き発育もいいようです。
しかし
8か月いこう寝返りができる頃になる頃
妊娠中の心音を聞かせても
落ち着かず、かえっておかしくなる。
しかし母親の心音を聞かせると
落ち着くというのです。
ここに幽玄の世界の境のヒントがあると
思うのです。
寝返りを打つまでは
お腹の中にいるときの気が優位
つまり食べるものも母乳のみで
東洋医学的にいう
先天の気で生きている。
だから、妊娠中の面影つまり
魂のまま生きてきた状態。
それが
寝返りする頃になると
先天の気のエネルギーから
この世に生きていくため
食事を自分でとるようになり
外界の刺激を感じるようになり
後天の気が優位になるのだと思う。
そこまでは
誰もが魂の世界のことを覚えているのかもしれない。
この世に生まれてきた目的も、意図も
だんだん記憶からなくなってしまい
その思いは潜在意識の中に
閉じ込めて生きていくようになるのだろう。
寝返りする
8か月が幽玄の世界の境なのです。
人間だけが持つ創造力の使い方
人間には他の動物にない
能力がある。
それは創造力。
人類は、脳を発達させながら
先のことを予想する能力を
発達させて
未知の将来を想像し、それに向かって
行動することで
人類は発展してきた。
他の動物は
過去のこと、経験したことを覚えていて
その体験を今を生きるために
役立たせている。
しかし人間は
過去よりも未来にこだわり
未来にこだわり
未来のことを求めて
今を大事に生きることを
忘れてしまっている気がする。
未来のために
頑張っている人も多いだろう。
でも
僕たちが生きているのは
未来ではなくて
今という時間にしか存在しない。
我々は
どんなに死にたいと思っても
心臓は動いている。
胃腸は働き、お腹もすく。
どんなにつらくて苦しいときでも
眠たくなるし
朝には目が覚める。
どんな未来を予想しても
今を生きるようになっているのが
僕たちの運命。
僕たちのからだは
今をしっかり生きるようにできている。
どんな時であっても
みんな頑張って生きている。
そんな今の自分を
どんな状況であっても
頑張って
支えてくれている
からだの感謝していることを
忘れてはいけない。
その頑張りは目に見えないけど
人間の持つ創造力を働かせて
感じることが大事なんだと思うのです。
北京オリンピックが終わった途端
北京オリンピックが閉幕した途端に始まった
ロシアとウクライナの戦争。
オリンピック中は
昨年からコロナ禍の中
開催すら賛否両論あり
様々な問題を投げかけた
オリンピックだったけど
終わると
選手達の姿に
感動というプレゼントを受け取り
開催されたことで
観客としても学ぶことが多いのが
オリンピックだと感じました。
まずは
選手達の上を目指し
競技に集中する
集中力のすごさを感じました。
集中力をつけるためには
まずは肉体を鍛えなければならないけど
こころを鍛えることも怠ってはいけない。
こころを鍛えるためには
自分にとって価値あることを成し遂げようと
決意することが一番。
例えそれが無理だと人に言われても
その決意にむかうことが
己自身が高まるのです。
ですから
何かをすると決めたなら
あなたの周りにおこっている出来事も
地球上で起こっている問題も
そして
太陽が毎日あなたを照らしていることさえも
忘れてしまうかもしれません。
気にしないといけないことは
あなたが決めた決意を
決して諦めないこと。
あなたが強い決意を持ちさえすれば
多くの人があなたを応援してくれて
力を貸してくれることでしょう。
それは、神様さえもきっとほっとかないと
思うのです。
まずは
あなたが何を成し遂げたいのか?
それをあなたがどれくらい望み
決意するかなんですよ。
そして今忘れそうになっている
純粋なこころを
思い起こさないといけないのでしょう
ナンバーワンになる確率は?
北京オリンピックが終わり
連日の熱戦に釘付けの方も多く
まだその興奮冷めやらない方も多いことでしょう。
オリンピックといえば
誰が金メダルをとるかが
皆の最大関心事項になります。
関心なのは
オリンピックにでるのも大変なのに
ただひとりだけが
その頂点に手にできる金メダルを取るか。
金メダルを採れるのは
実力はもちろんだけど
運の力も大きく働く。
金メダルをとる確率って
どのくらいだろう。
オリンピックの金メダルの数は
およそ300といわれている。
団体競技だったり、
ひとりで複数手にする猛者もいるけど
金メダリストと金メダルの数を同じと考え
世界人口80億人だと考えると
金メダルを手にする確率は
およそ3,5億分の1という
すごい確率。
夢の夢だな・・・と思ってしまう
やっぱり金メダリストは
強運の持ち主だと言える。
金メダリストもすごいけど
実は僕も強運の持ち主なのだ。
僕だけでなく、あなたもみんな強運の持ち主。
僕たちが
この世に生まれるためには
精子と卵子の過酷な生存競争に打ち勝ったきた
結果なのです。
1回の射精で放出される精子は
2~3億個ともいわれ
卵子に最初にたどり着けるのは
1回のチャンスしかなく
卵子に無事たどり着けても
受精までいくのはまた確率が下がる、
ですから
受精にまで至るには
3億分の1よりも低い確率になります。
また卵子は180万個あるけど
女性が生涯排卵する卵子は500個
ともいわれ
卵子が異なれば
今のあなたと別人格になってしまう。
あなたの今を形作った精子と卵子が出会い
今の僕やあなたが誕生した確率は
文字通り気の遠くなる
天文学的な確率で
勝ち抜いて存在するのです。
そう考えると
この世に生まれていることが
強運なのだ。
こんな僕でも
神様の祝福があって生まれてきたのだから
このいのちを大事に
そしていのち輝かせて生きていける
はずなんだと思うのです
薬指に助けられて
入院中は手のリハビリもしていました。
手の動きはとっても複雑。
だから
手を以前のように動かそうと思うと
かなりリハビリを
頑張らなくてはならなかった。
特に
リハビリに難渋した指は
薬指。
動きずらそうにしている
薬指をみていると
弱い指だし
この指だけが
思い通りに動かないことも不思議
動くときは
小指と一緒だし
その弱い指に
どこか愛おしさも感じてしまう。
この弱い薬指の役割もあるはず。
文字通り薬を塗るときには
重宝する指。
薬指に薬がついていても
親指と人差し指と中指の3本が
自由に動かせるので
ものもつかめるし
この3本で作業することができる。
歴史的にみても
古人は不器用なこの指にも
愛情をもって接してきた。
西洋では
この控えめな指が
愛情に通じていると考え
この指に結婚指輪をつけるようになった。
薬師如来では
左手に薬の壺をもち
右手の薬指を少し前に出し
傷ついた私たちに
薬を塗ろうとしてくれているように
この指は病気を治す力をもった
神聖な指と考えてました。
僕自身にとっても
薬指は
リハビリ中に
大きな勇気と治る力をもらった
指であることを実感しました。
脳細胞が入れ替わっても存在しているのは?
先日のブログで
自分のからだを構成している細胞は
数ヶ月経てば
全く異なる新しい細胞になっている
細胞分裂をくり返すことで
死を迎えるように進化していれうのでは?
という話を書きました。
それが事実なら
脳の細胞も入れ替わっている
つまり
「去年の脳」と「今年の脳」は
完全に入れ替わっている。
ここで
脳が入れ替わっていて
こどもの時とは
全く異なる細胞で脳はできているのに
こどもの時の脳とは
影も形も残っていないのに
こどもの時の記憶は
残っている。
これまで学んだこと、経験も
そのままの状態で、今を生きている。
これまで生きてきた
体験、学び、記憶が保たれる限り
肉体は変わっても
自分は自分として存在できている。
そう考えると
僕という存在は
いったい何だろうか?
脳さえも入れ替わっているとしたら
こころってどこにあるのだろうと
自分っていったい誰?
哲学的な問題にぶつかってしまう。
僕が僕であるためには
パソコンように
記憶装置を別の肉体に挿入すれば
また僕として生きていけるのか?
今生きていることは
単純な電気信号なのか?
脳の記憶装置を見つけ
その記憶装置を移植続ければ
人間は不老不死として生きていくのも可能では?
なんて
そんなSFチックなことを
考えてしまった。
でも
記憶自体は曖昧だし
間違って勝手に判断することもあり
決して機械的ではない気がする。
そこに何かが存在しているから
人はロボットではないのだ。
そこに、ひとが生きていく意味があるはず。
その意味を見つける旅は
これからもずっと続くのだ
生が先か死が先か
人のからだを構成している
細胞は
死の時を迎えるまでは
生き続けてるわけではなく
血液の細胞も、皮膚の細胞も
脳の細胞も
からだ全ての細胞は
ある期間で死に
新しい細胞に生まれ変わっていることが
わかっている。
僕たちは
老いて死ぬのが当たり前だと思っている
この仕組みが少しずつわかってきた、
実は
細胞の核にある染色体の中に
テロメアという部分が細胞の寿命
に関与していることが
明らかになったのです。
テロメアは
細胞分裂をくり返す度に
短くなっていくのです
いわば細胞分裂の残り回数を数える
タイマーのような働きをしている
と考えられ
テロメアがある短さになると
増殖することを止め
細胞の死を迎えることになるのです。
これまで
地球上の生物の世界は
敵地適所で生存できるように
進化を繰り返し
その進化の恩恵にあずかり
人間も新家氏他の生物にはない
高度の文明を手にすることができた。
でも
いま老化も死も克服できないでいる。
それどころか
僕たちのからだの中の細胞には
残りの寿命をカウントダウンする
染色体とともに生きている。
まるで死を迎えるために
我々は生きているのか?
進化を続けるなら
テロメアの内容に
突然変異や、老いることのないように
進化すればいいものを・・・と
考えるのだが
神やサムシンググレイトや偉大なる宇宙の力は
死を迎えることに意味がある。
そのために生きることが重要だと
いうことではないだろうか。
死があるから
僕たちは生きているのかもしれない。
だとすれば
生きる意味も、死ぬ意味も変わってくるのでは?
そう思うのです。
神の御業~「神曲」を読んで
川村元気作「神曲」を読んだ。
どんな作家かも知らず
どこか題名に惹かれて
手にした。
内容は
こどもが通り魔殺人事件の被害に会い
家族が苦悩するなか
新興宗教に家族でのめり込んで
宗教にすがる内に
人間の愛や悲哀に気づくという話。
この本で
予期せず神(宗教)にはまり込んでいく
その心理を学ばさせていただいた。
この小説の中に
神のような大きな力について語った
こんな一節があった。
この世の花びらの数は
3.5.5.13.21,34,55、89・・・・
という法則がある。
これは1,2番目の数を足すと3番目の数になる。
2,3番目の数を足すと4番目の数になるという
規則性があるというのです。
この自然の法則を
決めたのは人間ではない
自然界を支配する大きな力
これが神の御業だと思ってしまう。
みのまわりには
科学では解明できない
まさに神の御業としか考えられない
ことが確かに存在する。
実は宇宙の95%は
まだ解明されていない
未知の物質やエネルギーでできているそうだ。
科学が進歩しても
我々人間が把握できるのは5%。
この世の中は
人間の力の到底及ばない力
すなわち神の御業があることで
生きていくことができている、
神の力は
この目で見ることはできない。
音は聞こえないけど
確かにそこにあるものがある。
この世界から失われたものも
じつは永遠という世界には
きちんと存在している。
人々は
目に見えない
人智が及ばない世界にも
目を耳を意識を向けないといけない。
ハーモニーが心地よく感じた時は
神が創造した宇宙と人間の意識が
調和したから。
確かに神の世界はあるということを
僕たちに訴えてきた一冊でした。