【花咲くその日のために今できること:やりきったこと】
今日も冬空の山口です。
昨日は、ランチに行ったお店で、倫理法人会の話をしたら
共感してもらい、その場で入会を決めていただきました。
思いが伝わった瞬間、心が通じた瞬間、
そして絆が生まれた瞬間を経験しました。
本当にありがたい瞬間でした。
何事も“まっさらな心”で向き合えば、理解もし、
分かり合えるもらえる。
まっさらな心ってとても大事です。

今日も素直な心、まっさらな心で、
一日を大切に過ごして行きましょう。

さて、今日考えて見たことは
今まで「やり切った(やり切っている)」ことの中で、
一番思い出深いことなんだろう?
ってこと

僕のやりきったことは、
今のクリニックを開院したこと。

今のクリニックを開院して2月で丸5年になります。
この病院を作るために、
知恵、体力、経験、そして運さえも・・・・
僕の持ってる全ての力を
注ぎこんでできたと思います。

クリニックを作ろうと思った時
自分と見つめ合う機会をいただきました。

自分と見つめ合った瞬間、
自分らしい医療、自分しかできない医療、
自分らしく生きること、自分しかできない生き方を
したいというエネルギーが
自分の中から沸々と湧いてくるのを感じました。

それを今考えてみると、
きっと自分の使命に目覚めた
瞬間なのかもしれません。

だから、
決意して立ち上がれたんだと思います。

縁もゆかりもない土地での再出発でした。
最初は妻以外に
僕の思いの理解者も応援してくれる人もいませんでした。

でも、僕は行動しました。

自分の思いを語る機会がありました。
心から溢れる思いを誰かに伝えたいと思いました。
そんな僕を
時の神様は見ていらしたんだと思います。

僕に”出会い”という
プレゼントを用意してくれていました。

めげそうな時も
僕を支えてくれたのは、
それまで縁もゆかりもないのが不思議に
思えるほどの良きご縁でした。
初対面の方なのに
全てを語れた気がします。

僕の医療を夢を理解してくれ、
身体を張ってサポートしていただいた方々に
次々に出会いました。

どんな困難なことが起こっても、
めげそうな時も温かく応援してくれた方々でした。
そして
いつも僕を信じてついてくれた家族がいました。

クリニックが形になるにしたがい、
みなさんの温かい心に
僕が包まれていく気がしました。

そして、クリニックが開院して
この2/14で5丸五年になります。

今思うのは、
このクリニックで太陽のような医療を届けるのは、
ただの通過点でしかない。

僕には、
まだまだ使命感があるような気がしています。
僕の命を輝かせてくれた
皆さんの温かい心に感謝して、
今ここにいることに感謝して、
自分の命をみんなのために
精一杯光輝かせて生きていこうと
思っています。

あなたのやり切ったことって
なんですか?

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こどもは聖なるもの

昔の日本では
こどもを7歳までは
「聖なるもの」として扱うという
不文律の決まりがあったのか
とても大切な存在として接っしていたようです。

幕末に日本を訪れた外国人が
日本のこどもたちが
とても大切に扱われているのを見て
驚いたという記録があるようです。

現代でも
こどもを大切にし、かわいがっています。
我が子うぃ守るという
全ての生物がもつ愛情、可愛がるとは
何だか違うのではないのかと思うのです。

ただ可愛がっているのではなく
まだこの世の規則を適用してはいない
純粋無垢な存在。
そんなこどもの生きる姿を見て
今を生きる親を含めたおとなも
こどもから学ぶ点も多いのです。

その理由は
以前から日本では
こどもは7歳までは異界と繋がる
聖なる存在だと考えたのです。
そして、7歳を過ぎると
こどもは異界との繋がりが切れると
考えたのです。
つまり、7歳が
聖なるものから
俗なものにこどもはなるのです。

ですから
7歳以降に
俗な存在として生きていくために
おとなの世界の規則を学んでいくのです。
これが、学校のはじまりです。

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ボロボロに燃え尽きるまで

人生目的には
人それぞれいろいろだと思いますが
思想家の執行草舟さんは、その著書の中で

「人生の目的は
燃え尽きることにある。
その人の命がボロボロになるまで
燃え尽きたかどうか
わたしにとっての
成功哲学はそれだけです」
と書いています。

ちょっと過激な言葉で
そんな自己破滅的な生き方をしないと
しあわせになれないのか?と
一瞬ひいてしまいました。が

もう一度冷静になって
この言葉を読み直すと
ボロボロになるまで、生き抜け。
今を一生懸命、先のことを畏れず
一瞬、一瞬を全身全霊を込めて
生きていけ
という執行草舟さんの想いだと思うのです。

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貧乏くさくなりたくない

お金がなくては
生きていくことはできないし
お金があると
欲しいものも買うことだってできる。
お金があると
やりたいことだってできる。
お金があると願いや夢を叶えてくれる
気がしてくれる。

本当にそうだろうか?

石川啄木が
「働けど、働けど、我が暮らし楽にならず」
という歌を残してるけど
現代は
「働けど、働けど
稼げで、稼げど、我が暮らし楽にならず」
と思っている人が多いのだろうか?
それはおとなだけでなく
こどもがお金欲しさに犯罪に手を
染めてしまうこともある。

お金を稼ぐ目的が
かつてとは変わってきている。

自分は、戦争を経験した親に育てられたので
贅沢をするためにではなく
生きていくために
必死で稼いだ親に育てられた。

こどもである僕には
感じさせない苦労を
親はいっぱいしたおかげで
僕は何不足もなく今ここに生きることがある。

これは僕のことだけでなく
今までの日本人の生活はどこもそうであっただろう。

そう言えば
母親が生活が苦しいとつぶやくことがあり
その独り言をきいて
こどもの時父親に
「どうしてうちは苦しいの?」と尋ねると
父は
「戦争に負けたからだぞ」と言われ
それにこどもながらに納得して、それ以上
尋ねることはしなかった。

60年代はまだ日本はまだ貧乏だったけど
みんな「貧乏くさく」はなかったと思う。
逆にいうと
現代はものにあふれ豊かな時代になったけど
貧乏くさくなっていないだろうか?

貧乏と貧乏くさいは全く違う。
貧乏というのはクールでリアルな経済状態をいう。
だから、
例え貧乏だとしても、貧乏は精神状態とは関係ないので
心豊かに暮らすことができる。

最近の人の動きなどを見ていると
他人の富裕を羨む人もいるし
自分の財産をしっかり退蔵して
誰とも分かち合わない人も増えていないだろうか?
富を手にして、権力に近づいてしまうとは
もっぱら
税金を我が物のように私物化したり
公権力を私用に流用したり
公よりも私を大事にしていると思えるような
行動をしている人が増えてはないだろうか?

貧乏を脱して貧乏くさくなる人が増えていけば
この国はどうなっていくのだろうか?

お金に手にした後
貧乏くさく生きないようにしなくてはと
いつも思うのです。

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人のためになにかしよう

学校では
冬休みの宿題に
書初めがあります。
思いを字にすることで
将来、
どんなことをするのか?
どんな仕事をするのか?
どんな一年になるのか
こども達は想像の翼を広げてることでしょう
どんな夢であっても
みんな
人のためになることをしたいと
夢を描いていると思う。
お金をいっぱい稼いでいっぱい寄付したい
世の中を変えるような発明や事業をしたい
人のためになるような活動をしたい
将来の考えると、夢も膨らみ
楽しくなる。
でも
ふと現実に戻った時
そんなお金が稼げるだろうか?
そんな立派な発明ができるだろうか?
人のための時間がとれるだろうか?って
ちょっと不安になってくる。
そんな大きなこと
本当にできるだろうか?って
心配になってくるかも
でも
”人のために何かする”って
そんな
おとなにならないとできないことや
大きなことだけじゃないんだと思う。
ちょっと周りを見回してみると
今でも
自分でもできる
人のためにできることって
いっぱいあることに
気がついてほしい。
笑顔であいさつ
順番を譲る
尋ねられたことに丁寧に答える
身の回りの掃除をする
整理整頓をして、次の人が使いやすくする
・・・・
ってことも
実際やってみると
誰のためにやったわけじゃないけど
みんなが喜んでくれている
そんな小さなことでも
実は人のためになるって気がする。
人のために
何か親切なことをする
人の喜ぶことをする
これも立派な
人のためにできること
そして
これらは人に与える行為だけど
実は
小さな親切でも
自分の気持ちも温めてくれる。
たとえどんな小さな親切であっても
その行為は
自分にしあわせな気持ちを運んできてくれる。
だから
もっと、もっと
親切にしたいと思える力が湧いてくる。
そして
どんどん自分もしあわせな気持ちに溢れてくる。
小さな親切は
周りの人も自分をも
しあわせにしてくれる。
人は
しあわせになろうと思って
しあわせになれるわけじゃない
誰かを
しあわせにしてあげようと思って
初めて
しあわせになるのだと思う

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今日という日を生きる

こども達は
毎日
今いきていることをどれくらい意識して
生活しているだろう?

朝目が覚めた時、さっと起きれただろうか?
二度寝して
次、目が覚めた時には、寝坊して
あわてなかっただろうか?

二度寝して、遅刻してしまったのは
まだ時間が早かった、
疲れてたから、
起こしてくれなかった・・・など
寝坊した理由を色々言ってないかな?
それは
全てただの言い訳。

寝坊したのは
さっと起きなかったのが原因。
その結果寝坊してしまった。
寝坊することを選んだのは
全て
自分なんだと気づいて欲しい。

これは寝坊だけの話じゃなくて
実は
今起こっている現実のことは
全て自分が選んだ結果なんだと
気づいて欲しい。

今日寝坊したこと
二度寝してしまったという
自分の選択のミスを
今素直に受け入れることができれば
きっと、
明日の朝は
寝坊しないように
さっと起きるのだと思う。

今日目が覚めたこと
今日という一日が二度とないかも?って
思ったことがありますか?
実は
今日目が覚めたということは
今、生きているということは
当たり前のようだけど
実は、奇跡のようなもの。

“自分は今日という日を生きている
明日は目覚めないかもしれない”と
意識すれば
“今日は一日笑顔で過ごそう”
“今日は一日怒らずにいよう”
“今日は心穏やかに過ごそう”
と今日の生き方を選択できるようになる。
選択できる毎日は
きっとワクワクした毎日。
そして
今日を生きるということ

自分の命が
とっても大切に思えてくるはず。
だから
今日目覚めたことに感謝して
今日という日を大事に生きて欲しい。

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積善陰徳

この言葉は
中国民事代の袁了凡が書いた
「陰隲録」という書物に出てくる言葉。

ある日
了凡さんが占いをする易者と出会います。
易者は
「あなたはこれから先、どんどん出世するが
52歳で死にます。
こどもにも恵まれません。」
「この運命を変える積善陰徳という方法
を薦めたのです。
その方法を実行しては、
世のため人のためになるようなことを
コツコツと積み重ねて
こどもに恵まれ
74歳まで生きた」という話しです。

世のため、人のためになるような
素晴らしいことを誰にも
知られないようにやるのが陰徳。
この陰徳を積み重ねることによって
たまった徳が
未来を生きる孫やひ孫に
返っていくということ。

あなたの今の行動が
あなたの子孫に影響するのです。
いい祖先になれる方法です。

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最近夢は見ましたか?

いつ見るかわからない夢でも
お正月に見る初夢は
願いが叶うと言われ
初夢を見るのがとても楽しみな夢です。

僕は、気持ちよく寝過ぎて
見た夢が思い出せません。
ところで
人類がずっと望んでいる夢
いまだ叶わない夢。
それは
不老不死
若返ることかもしれません。

秦の始皇帝も
楊貴妃も
ヒトラーも
ジョブズも
世の権力者と言われる人が
全ての地位も名誉も手にしても
どんなに手を尽くしても
手に入れられなかった願い。
それが不老不死。

その究極の願いに向かって
東洋では
不老不死の仙薬を探し求め
様々な漢方薬が作られ
西洋では霊薬を作り出すために
錬金術が盛んになり、
科学が進歩しました。
永遠の命を求め
現在の医学が発展したとも言えるでしょう。

不老不死の方法が見つかれば
科学の力で
大きく世の中が変わることでしょう。
しかし、
現代医学をしても不老不死は解明はされていませんが
実はサーチュイン遺伝子といわれる遺伝子が
長寿に関与しているのでは?考えられ、
サーチュイン遺伝子が
長寿遺伝子として脚光を浴びています。

この遺伝子はバクテリアから人間まで
全ての細胞にある遺伝子で
酵母やショウジョウバエや線虫などの
多細胞生物で
サーチュイン遺伝子がよく働けば
寿命が30%以上伸びるなどという報告が
世界のあちこちで発表されています。
それで、サーチュイン遺伝子を
長寿遺伝子と呼び
世界的に注目され盛んに研究されています。

この遺伝子の特徴は
普段は活動していないのですが
からだにストレスがかかると
働き始めることがわかってきます。

人が
飢餓、低酸素、温熱、運動するなど
過酷な状況になると
この長寿遺伝子が目覚めるのです。
つまり
サーチュイン遺伝子は
生きていこうとする力
生命力を芽生えさす力とも言えます。
ずっとサーチュイン遺伝子が働き続け
永遠のいのちが手に入ったとしても
ずっと
お腹が減った状態で
ストレスがかかった状態で
生き続けることは
果たしてしあわせなのでしょうか?

永遠の命を得たとしたら
いったいどんな生き方をしますか?
どのように生きていると思いますか?
僕には
とても大きな命題で
今を生きるだけでも必死の状況で
答えを出すことができません。
ということは
今、永遠のいのちは必要ないのかもしれません。

人類が永遠に生きなければという
目的を持ったとき初めて
不老不死の夢が叶う時代が
訪れるような気がします。

今、永遠のいのちを望むより
今、生きていることを大切にすることが
大事だということ
今、どんなに苦しくても乗り越えられる力を
体の中に秘めていること
「どんな状況でも頑張れる力があるよ」と
サーチュイン遺伝子の存在が
教えてくれているのかもしれません。

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還暦の誓い:老に学ぶ

文筆家執行早舟さんの書いた本に
こんな一文があります。

老人とは
老いた人、老けた人ということではなく
年を重ねて人間的に成熟した人と
いう意味というのです。

確かに
年令をただ重ねるだけでなく
人間的に成熟していきたいと
僕も常々思っています。

そして、執行さんは更に
こんな風にいっているのです。

「しあわせな人生を送りたいというのは
エゴイズムにょっけつした考え方です。
昔の人はそれが恥ずかしいことと
わかっていたので、
公にせず、腹の中で留めていました。
昔日本人が恥ずかしくてやらなかったことを
今堂々とやっている。
特に目に余るのが老人です。
自分の健康と長寿ばかり気にしている。
それを公言してはばからない」

かなり、過激な発言ですが
このあと、このように続くのです。

「若者の未来の幸福を
願うのが本来の老人というものです。」

年取ってくると
自分の生きてきた人生を
振り返って
同じく苦労は経験させたくない。
我が子が、孫がしあわせに生きていって欲しい
と願う気持ちが強くなってくるので
この執行さんの過激な発言には
すぐには賛同できませんでした。

でも
この言葉を何度も何度も読んでいると
嫌々
年取ってくると
健康でいようとか
しあわせを願う気持ちの視野が
どんどん狭くなってきているのに気がつきました。

若い時のように
大志を描くのではなく
なんと個人的な想いになってきていることに
気づいたのです。

今年、自分は還暦を迎えます。
だから
小さい自分に閉じ困らず
老人の大志を描いて生きていこうと思うのです

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チャイコフスキーの妻

という映画を観た。
チャイコフスキーと言えば
白鳥の湖、くるみ割り人形など
美しいメロディーの名曲を多く遺した
ロシアの大作曲家です。

その私生活は
男色家であるなど
その私生活は謎めいています。

そんなチャイコフスキーに妻がいたことを
この映画で初めて知り
その夫婦関係は
通常の夫婦とは全くことなるもの。

女性を愛すことができないチャイコフスキーを
愛してしまい
その愛を死ぬまで貫くことを
神に誓って結婚した妻の一生を描いたもの。
その妻の苦悩は想像以上で、その苦悩を
報われないかも知れない愛を信じて
生きた女性の姿を描いた映画でした。

男である自分にだけでなく
この女性にしかわからない面が描かれているので
この女性を理解することはできない。

映画をみながら
日本でも
彼から離婚を申し出ても、受け入れず
裁判まで起こし
別居していてて
数年に1回程度しか合わないのに
彼のための新居をつくっていたという
樹木希林さんと内田裕也さんの夫婦の思い出された。

もうお二人とも亡くなられているが
最近晩年に二人が初めて共演した番組を観た。
樹木希林さんも相変わらずの毒舌を吐いていたが
その仕草、視線の優しいこと
その仕草に、サングラスで目元はわからないけど
口元が緩む裕也さんの姿。
今も変わらない愛を貫いている夫婦の姿を見た。

そんなあとだったので
チャイコフスキー夫婦の運命の酷さに
涙した映画だった。

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