あいさつ

あいさつと一言で言っても
時代や国によってもちがいます

あいさつは
人間が生み出した文化ではないかと
思います。

日本人のあいさつは
”おはよう””さようなら”などの言葉とともに
お辞儀を伴います。

言葉だけでなく
お辞儀などの動作を伴うので
その時のあいさつひとつで
相手に不愉快な思いをさせたり
相手にあいさつだけで気持ちが通じたり
あいさつをした数秒で
良くも悪くも、瞬く間に
自分の心が相手に通じてしまいます。

あいさつという字は
”挨”も”拶”という字
どちらも押すという意味があるそうです。

あいさつは
相手の心を押すこと
だから
相手の心に届くようにするのが
あいさつ。

あいさつひとつで
あなたの人間性が
相手に伝わってしまいます。

あいさつができることが
人間力のバロメーターの
ひとつにもなります。

どんなに忙しくても
数秒ですむあいさつが
できないわけがありません。

その数秒のあいさつに
心をこめる。
心をこめれば
あなたの心が
相手の心を押してくれます。
あなたの心が通じれば
相手のしあわせな気持ちになります。

あいさつは
人と人、心と心をつなぐもの。

あいさつには
自分のこころがあらわれます。

あいさつを磨くことは
自分の心を磨く生活道です

人に会ったら
心を込めたあいさつをしましょう

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伊能忠敬を支えた家訓

伊能忠敬といえば
日本地図を作成した人物。
55歳の時に全国の測量を決意し
日本全図を完成したのが73歳です。

当時は
人生50年時代ですから
伊能忠敬の生き方は
生きる勇気を与えてくれます。

そんな伊能忠敬をした原動力は
「地球の大きさを知りたい」
からだったとか。

そして、商人であった伊能忠敬が
家督を長男に譲った時の
家訓が残っていて
伊能忠敬という人間としての
生き方を示されている気がして
ここに紹介しようと思います。

1.仮にも人に対して嘘偽りをせず
親に孝行、兄弟仲良く、正直であれ
2.目上はもちろん目下の人の意見をよく聞き
納得のいく考えは取り入れよ
3.人に対する敬意と謙譲をもって言動を慎み
決して人と争わぬように。

これに加えて
年令に囚われず。心からやりたいことに挑戦し
努力を続ける気力
天文、測量の優れた技術
したたかな行動力、統制力、財力
があったからこそ
全国測量の大偉業ができたのだと思うのです。

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ノアの箱舟が終わった日

7月17日は
ノアの箱舟がアラファト山に
漂着した日と言われています。

京都の祇園祭のピークを
迎える日でもあるらしい。

これは偶然というより
意図してそうしたと僕は思ってます。

なぜなら
祇園祭は日本古来のお祭りだと考えられていますが
実は、ユダヤ教のお祭りが
ベースになっているかのような
共通点が確認できるからです。

ユダヤ教の神殿は
日本の神社のように
鳥居があって、本殿を構える造り
狛犬が2対おかれているらしい。

日本では
狛犬って犬って表現するけれど
よくみると
ライオンのようだし
日本にはライオンなんていませんよね・・・・

また
祇園祭では
おみこしや山車がでるのも
ユダヤ教のお祭りと同じ。
そこに描かれている絵は
日本古来の絵巻物というより
エジプトやユダヤらしき絵が
不思議と描かれている。

ユダヤと日本
実は同じ祖先で
日本人はユダヤ人の血がながれている
日ユ同祖説があるくらいです。

そして7/17はノアの箱舟伝説の終焉の日。
ノアの箱舟伝説とは
大昔の伝説で
神様がおつくりになった人類が
余りにも傲慢になってしまったので、
おつくりになったことを後悔されて
いったん滅ぼそうと
大雨、大洪水をおこし
人類を滅亡させようとされました。
しかし、神様の温情で生きるチャンスをもらった
ノアの一家と動物が
箱舟を作って難を逃れることができて
それから
現在の人類につながったという伝説が
ノアの箱舟伝説です。

大昔のことすぎて
世界中で伝説として語られだけで
実際の物証はほとんどありませんが
単なるお話しではなく
実話ではないかとも考えられ
今でも実際研究されている話でもあります。

そのノアの箱舟が
アラファト山に漂着して
新しい時代が始まった日が
この時期なんですね。

今の現実お日本をみると
先日の日本を襲った大雨
ノアの箱舟伝説規模ではないにしても
同様なことがおこっていました
これって、たまたま偶然なことでしょうか?

もしかしたら
なんらかの計らいがあったかも。
なんて考えてしまいます。

雨があがったからよかったではなく
今の自分、世界の現状を振り返る時間にしないといけないのでは
ないでしょうか?

また
この7/17を中心に
エネルギーあふれる良き日ともいわれています。
この良き日を
無駄にすることなく、今日も前に進んでいきましょう。

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三昧境

野球選手が大ホームランを打った瞬間
ボールが止まってみえた
といったり
陸上選手が記録をだした時
光の中に入ったとか。

スポーツ体験だけでなく
毎日頑張って勉強していると
ある時、今まで気づかなかった
自分の才能や能力が開花する瞬間を
体験された方も多いのではないでしょうか?

別次元の世界を体験したことを
ゾーンに入ったといいます。
別の言い方をすれば
三昧の境地に至ったともいいます。

この瞬間を
もう少し科学的な表現をすると
遺伝子の中にナメっていた能力が
開花したという意味で
「DNAのランプが点る瞬間」と
表現することもできるでしょう。

そしてこのランプは
ひとつ点るとそれで終わりではなく
さらに頑張り続けると
次々DNAのランプが点り
今までにないあなたの才能が開花し
成長続けることができるのです。

あなたのからだには
あなたががんばれば
いつでも、いつまでも成長を応援してくれる
秘められた力があるのです。

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適当に生きよう

無駄な時間を
大切にしていこうという
ことを書きましたが
実際どう生きていけばよいのでしょうか?

深く考えずに
適当に生きていけばいいのです。
適当とは
何も考えずに・・・・ということでは
ありません。

適当の
適にはかなうという意味があり
適当とは
かなうことにあたることだと言える。

何をかなえるために、あたるのか
叶えるものは夢ではない気がするのです。
叶えるものは
自分は何を大切に、何を大事に思って生きていくものを
みつけて生きること。
すなわち
自分が生きていきたいテーマとも
言えるものをみつけ歩き出すことが
適当に生きることだと思うのです。

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からだに備わっている音階

音階といえば音楽をする時の
基本となる
音楽の言葉のようなものだけど
音階は音楽だけの世界ではない。
人間のからだにも実は
音階が備わっているのです。

音階の
ドは股のところ
レはおへその下の丹田
ミは子宮
ファはみぞおち
ソは心臓
ラは声帯
シは松果体
そして、一オクターブ上のドは
宗教でよく描かれている
頭上の13cm上に浮かぶ光の輪
だといわれています。

また
レは火
ミは水のせせらぎの音
ファは風の音
ソは太陽
ラは夜空に星きらめく宇宙
シは死
一オクターブ上の締めくくりのドは
大地の土
つまり、私たちは死んだら土に還ると
いう意味があるのではないでしょうか。

音階には
生まれたものには
死が必ず訪れるという無常観
死を見つめられることで
生の意味が深まる死生観
そして宇宙問いつながるいのちのメッセージ
が込められているのです。

人が音楽によって
救われたり、感動したりするのは
音楽の奥に秘められた
魂の意味をうけとるたけなのかもしれない。

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今日の空は特別?

今日見た空は
昨日見た空とは、全くちがった。
一昨日見た空ともちがった。

思えば空が
同じ姿で
僕の目の前に
現れたことは一度もない。

そんな一瞬の空が
僕に教えてくれた。

「この一瞬、一瞬が
特別なんだよ。
この世の全てのものが
君への素晴らしい贈り物のなんだよ」って。

贈り物?

確かに
今日出会った人は
僕に出会う前に
何世代もの命のつながりを経て
今日僕と出会った。
貴重な出会いだったんだ。

今日水が飲めたのも、
食事ができたのも
仕事ができたのも
実は
今日僕が受け取った
無数の贈り物のうちの
ほんのわずかなものかもしれない

だから
今日起こったことも
今日という日も
僕に与えられた
大事な大事な贈り物によってできた
恵み溢れた特別な日なんだね

だから
今日も、明日も一日として
同じ日はない。
今日は特別な日ってことを
空は教えてくれたんだ。

人生って
特別な一日の積み重ねでできている。
届けられた数々の贈り物にに支えられて
僕は生きている。

今日は特別な一日。
素晴らしい贈り物をもらって過ごせたことに
感謝なんだね。

そして
今日僕に与えられた恵みに対する感謝の気持ちが
今日出会った全ての人に対して
言葉だけでなく
僕の眼差しからでも、
この手からでも
少しでも感謝の気持ちを
伝え、届けることができていたなら
今日は本当に良い一日になるだろう。

今日は実際どれくらいの人に
感謝の気持ちを
伝えられただろう。
振り返れば、反省すべきことだらけ。
くよくよ振り返ってるうちに
また、特別な明日がやってくる。
だから
明日は今日よりももっと多く
感謝の気持ちが届けられることを願い
今日という一日を終わろうと思います。

みなさんにとって明日が
感謝と愛に溢れた一日になりますように。

今日もありがとうございました。

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仕方がないも決心のうち

人生をどうのように生きようか
決めているかいないかにかかわらず
自分の力ではどうしようもないことが
あります。

自分が何かしたわけではないのに
進むべき道を阻まれたり
どうにもならないことに出会うことは
誰にも経験します。

そんな時には
それは「仕方がない」と
思い切ればいいのです。

その時に、その決断を
あきらめた、ギブアップしたとか
マイナス感情を抱くことはありません。
その時に
こんなことしたからとか
あんなことしたからと
過去を振り返る必要もありません。

仕方はないとは
今の現状だけでなく
過去とか、どれが正しかったのかと考えることもなく
仕方ないと思えばいいのです。

今の現状をなかなか受け入れられない時は
仕方がないとつぶやくと
受け入れがたいことでも
受け入れられるようになるから
不思議です。

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無駄な時間なんてない

現代人は忙しい。
次から次にしたいこと、
しなければならないことができて
いつも時間に追われている。

そして
時間がない。足りないと
嘆いている気がする。

時間は決してないわけじゃない。
時間はあるのです。
しなければならないことってなんだろう。
そもそもしなければならないことって
なんだろう?

よくよく考えてみると
しなければならないことって
最初はなかったんだと思う。

我々は
生きていく理由もわからず
生まれてきた理由も知らずに
この世に生まれてきたはず。

生まれてきたいと思ってきたわけでもないし
生まれてきた理由も知らずにこの世に存在したはず。

だから
生まれた理由や
今生きてる目的は
生まれてきて自分で考えきずいたこと。
考えてみると
生まれた瞬間に
生きてなければならない確かな意味もなかったはず。

そう考えると
意味のある時間なんて
人生に存在しないのではないのだろうか?

無駄な時間だと思っても
無駄な時間なんてないと
受け止めて生きることが大事ではないかと
僕は思うのです。

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元気になったから病気が治る

僕は病気を経験してから
生きているということを実感するようになった。
それと同時に
生きているのは自分自身の力だけではなく
周囲からの協力のおかげ
そして自分自身のからだの中にある
力のおかげだと日々感じるようになりました。

その様に感じることが
心身ともに健康であるということでは
ないかという風にも感じるようになった。

健康についての考え方も
病気の前と後では少し変わってきました。

現代医学では
「病気が治ったかた元気になる」と考えるけど
実は
「元気になったから病気が治る」のではないかとも
思えるのです。

現在
病気が治らない人
何らかの症状に悩まされている人
が増えている気がします。
からだの不調を訴えても
現代医療では異常が見つからないから
病気ではないといわれても
からだの不調は現実的にあるわけです。

元気がないから
つまり気(エネルギー-)が元に戻ってないから
病気が治らないのです。
気が減っている状況は
メタトロンをするとわかります。

気を整えると
病気になりにくいからだになるのは
間違いないとことだと僕は思います。

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