50を過ぎると先の道が開ける

年をとることに、不安を感じる人は多い。
確かに体力は落ちるし
若い時のように働けないかも
身体の無理もきかない
稼げなくなるかも・・・・と
老後に関して不安を感じているかもしれません。

本当にそうでしょうか?

心理学者のマズローは
高齢になった方が自己実現に達すると
いっています。
僕は年を重ねるごとに
気持ちが充実している感覚があります。

でも、誰でも年をとるのは嫌だという
イメージを持っている人は多いことでしょう。
僕たちはいろいろな偏見をもって生きています。
「老いは衰え、老いると孤独になる」とか
「男は、女はこうあるべきだ」など
少なくなってきたとはいえ
なかなか偏見はなくなりません。

若い時、青春時代が明るい、希望にあふれている
というのも偏見です。
年を重ねて、なお明るく、活き活きと生きている方は
たくさんいらっしゃいます。

僕も20代の時よりも
今の方が自分らしく生きています。
ですから
年をとっても自分の生き方さえみつければ
どんどん道は開けていくのです。

年をとると孤独になることはありません。

☆5/19「どう生きてどう死ぬか」の出版記念講演会
&ヴァイオリン&ピアノコンサート
多くの方にお越しいただき
無事終了することができました。
みなさんの温かい気持ちに支えられた時間でした。

どうもありがとうございました。

今回のコンサートの収益の一部を
赤い羽根共同募金を通して
能登地震復興支援のために寄付する予定です。
また後日ご報告させていただきます。

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今のままでいい

仏教の言葉で「少欲知足」があります。
大きな夢でなくても一つでも大事な欲が満たされれば、
それだけで満足できるという意味でしょうか。
僕も病気をして入院していた時にこの言葉に勇気づけられました。

それまでの自分は
三つ欲すれば、三つ達成しないと満足できませんでした。
人間には欲があります。
全ての欲が満たされないと、満足できないような気がします。
その欲が向上心へと繋がることもありますが
欲に押しつぶされることもあります。

病気したことで
「健康であればいい」と健康以外の欲を捨て去ると
穏やかに生きられることを経験しました。
波乱万丈な人生を生きてこられた人は
平凡が一番だという声をきいたこともあります。

世の中も自分も一定ではなく常に変化しています。
今と同じ人生は続きません。
成功も失敗も病気であっても、その現実を受け入れて
今を大事にいきていけば、
自分にとって一番大切にしなければならないことがわかってくるはずです。
それをわかれば少欲知足を生きることができ
何があっても人生をしあわせに進むことができるでしょう。

☆5/19「どう生きてどう死ぬか」の出版記念講演会
&ヴァイオリン&ピアノコンサート
多くの方にお越しいただき
無事終了することができました。
みなさんの温かい気持ちに支えられた時間でした。

どうもありがとうございました。

 

今回のコンサートの収益の一部を
赤い羽根共同募金を通して
能登地震復興支援のために寄付する予定です。
また後日ご報告させていただきます。

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健康とは

 

健康であるとはどういうことでしょうか?
この問いに対する答えは
無数に存在する気がします。

医者でさえ
“健康って何ですか?健康ってどういう意味ですか?”と
尋ねても、答えは様々だと思います。

それは、
健康に対する思い、願いは
人それぞれであることの
表れでないでしょうか。

例えば先天的、‪後天‬的であれ、
からだの一部に
不自由な面があった場合でも、
その部分を補い、
サポートする道具や器具があって、
望んだ日常生活ができれば、
きっとその方は
健康的な日々を過ごされていることでしょう。

逆に、
五体満足であっても、
肉体的、精神的な面で問題を抱え、
人生に対して希望や夢を描けない時は、
決して健康であるという事は言えないでしょう。

健康であるためには、
からだに問題がある、なしではなく、
心もからだも元気でないと
健康とは言えないのではないでしょうか?

つまり“心とからだ”のバランスが
とれていて初めて健康と言えるのです。

病気の原因は
からだが病んでいる場合と
心が病んでいる場合の二つがあります。

肉体が病んでいる時の治療法は
数多くあります。

特に現在主流の西洋医学は、
飛躍的な発展を遂げ、
多くの難病を治療することが
できるようになりました。

ただ残念ながら、
西洋医学はからだの悪い臓器や組織中心の医療です。

健康であるためには、
からだとこころのバランスをみることが必要です。

そのために、
これからは
目の前の患者さんの
からだとこころ全体を診る
“全人的医療”を目指して
いかないといけないでしょう

☆桜満開の季節です。
希望溢れるこの季節と同時に
いろんな旅立ちがある季節。
当院でも、出会いと別れもありました。
そして、ずっと家族同様に仲良くしている
ご家族が初めて山口に来てくれました。
出会った人はみな大事な家族のような気がします。

みんなが桜の花のように
美しい人生の花が咲きますように。

今日は、みなさんが
笑顔溢れる休日となること
安心して過ごせることを願い
一日休日診療所で働きます。

☆5/19、「どう生きてどう死ぬか」の出版記念講演会
&ヴァイオリン&ピアノコンサート
多くの方にお越しいただき
無事終了することができました。
みなさんの温かい気持ちに支えられた時間でした。

どうもありがとうございました。


今回のコンサートの収益の一部を
赤い羽根共同募金を通して
能登地震復興支援のために寄付する予定です。
また後日ご報告させていただきます。

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気を使うより愛を使う

人は仕事をして
仕事に対する報酬をもらって
生きるために
必要なものをそろえます。

仕事は生きるために
必要な事です。

でも仕事をしていると
様々な問題にぶち当たって
ストレスを抱えてしまいます。
生きていると
色んな競争があります。
辛いこともあります。

多くの人にとって
うまくいかないとつらいのが
“人間関係”です。

人には
色んな考え方、感じ方があって
それぞれ異なります。

その人の考え方を
受け入れられずに
勘違いをしたり
イライラしちゃうことも
あります。

人の心って
イライラすると
お互いが悪い雰囲気に
なってしまいます。

その悪い雰囲気に
気がついて
相手に気を使うことで
丸く収めようとしようとしても
なかなかうまくいかず
更にイライラして
益々ストレスを感じてしまうかも
しれません。

相手に変わってもらうより
自分が変わる方が簡単。
相手に愛されるより
相手を愛する方が簡単。
自分が変われば
自分の周りの環境は
簡単に変わります。

自分の目の前に現れた人は
きっと
何かを自分に伝えようとして
現れたのだと思います。

きっと
色んな事を伝えるために
出会っている、きっと学びの対象なんです。
だから
出会ったことに
感謝しましょう。

好き嫌いを超えて
その人と感謝と愛情を持って
接することができれば
その感謝と愛の気持ちは
周りに伝わり
きっと周りから良いエネルギーが
帰ってくると思います。

そして
イライラから生まれた
悪い空気は浄化され
今まで感じてたことが
とてもちっぽけなことに
感じられるでしょう。

人と接する時
最も大切なのは
“愛”

人間関係に疲れたら
“気を使うより、愛を使いましょう”

☆昨日、「どう生きてどう死ぬか」の出版記念講演会
&ヴァイオリン&ピアノコンサート
多くの方にお越しいただき
無事終了することができました。
みなさんの温かい気持ちに支えられた時間でした。

どうもありがとうございました。

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また後日ご報告させていただきます。

 

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治っていくことに感謝して

先日来られた患者さんは
多発性硬化症のため
全身の痺れや麻痺、しびれ、めまいなど
全身の神経症状に悩み、苦しみ
不自由な毎日をすごしていらっしゃる。

治療を開始してから

めまいがなくなり
足先の感覚が戻ってきて
一歩が出しやすくなってきた
階段を昇りやすくなってくることがある
などなど
少しずつ改善傾向が現れてきました。

でもまだまだ
元気な時に比べれば
歩くことも、手を使うことも
不自由な状態が続いている。

でも
健康な人からみれば
本当に些細な変化かも
しれないけど
その改善が喜びでもあり
そして
その喜びをかみしめることで
感謝の言葉を自然に口にする
患者さん。

からだが良くなることを喜び、
そのことを感謝することで
からだ自身も喜び
感謝してもらえることに喜んでいる
そんな風に
今回診察をして感じました。

今は小さな一歩かもしれないけど
必ず治る方に向かっていると
からだに感謝すれば
からだは必ず応えてくれる。

そのことを患者さんから
教えてもらいました。

☆昨日、「どう生きてどう死ぬか」の出版記念講演会
&ヴァイオリン&ピアノコンサート
多くの方にお越しいただき
無事終了することができました。
みなさんの温かい気持ちに支えられた時間でした。

どうもありがとうございました。

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また後日ご報告させていただきます。

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枯れ葉

枯れ葉という映画を観た。
この映画は2023年後悔の映画だから
最近作られた映画だけど
内容は
1970年代に作られた映画のように
思わされる
今ではちょっと古くさい?と思わされる
ベタな映画。

でも
主人公が時折聞くラジオ放送で
ウクライナとロシアの戦争のことを
伝えるニュースが流れるので
これは
今、まさに現代の話なんだと
思わされるが
再び映画の内容に戻ると
ちょと昔のノスタルジックな気分に
戻される。

見終わった時に
昔の時代を懐かしむ
おとなのおとぎ話を見せてもらった気分で
こころがほっこりした
ちょっと不思議な映画だった。

☆本日 講演会&コンサート 開催です

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しあわせのシェア

誰かを褒めることは
褒める方も、褒められた方も
気持ちいいものです。

気持ちがいいのは
誰かを褒めることは
「しあわせのシェア」することに
なるからです。
つまり
褒める場、褒められる場は
その場に良いエネルギーを生み出すからです。

ですから
目の前の人に対して
簡単なことだとしても
誰にでもできるようなことであっても
褒めることがあれば
恥ずかしがらずに
大いに褒めましょう。

そして
あなたもわたしも
みんなでしあわせのシェアをすると
どんどんしあわせの輪が広がり
しあわせの場が生まれ
ついには
あなたの回るだけでなく
職場も地域も、日本も世界も
しあわせな世界になることだって
・・・・夢ではないはずです。

☆5/19(日)の講演会&コンサートのお知らせです。
いよいよ明日になりました

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虫のしらせ

何となくよくないことが起こりそうな
予感がすることをいう言葉で
「虫のしらせ」と表現する日本語があります。

実は
この言葉に対応する外国語はない
日本独特の言葉ということを
最近知りました。

よく考えてみると
不思議な言葉です。
ちょっとスピリチュアルのような
雰囲気のある言葉ですが
よく考えると
日本人には
なんとなく先のことを感じる
能力があったのかもしれません。

そんな能力があるかどうかは
別として
日本人は古来から
自然現象、自然にあるものに対して
八百万の神が宿っていると
大事にしてしてきました。
その自然の全てをも大事にしようという
意識が日本人は昔からあって
その思いが日本人のDNAとして引き継がれて
今も息づかれているのでしょう。

日本人の古来から引き継いでいる
スピリッツを大切にしていき
次の世代に引き継がなければならないと
虫の声を聞きながら思うのです。

☆5/19(日)の講演会&コンサートのお知らせです。
残席残りわずかです

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大切なしみじみする時間

入院している時
世の中はコロナで生活制限されていましたが
病院の中は
コロナに関係なく
ずっと4コマのリハビリの
毎日でした。

朝9時からはじまり
終わるのは17時。
ですから、17時から自分の
プライベートの時間が始まります。

終わって
妻がもってくれた
コーヒーとお菓子を食べて
ホッと一息を入れる
そしてしみじみとした気分に
浸る時間がとても心落ち着くのです。

外が雨でも、晴れていても
リハビリがうまくいかなくても
そのしみじみとした時間があるから
次の日も、また次の日も
単純な毎日を繰り替えせたのと思います。

その時のしみじみとした時間があったから
今の自分をまた取り戻せたのだと思います。

今、忙しい時に
ふと、その時の
しみじみとした時間を思いだし
疲れた時にはしみじみと今の時間を楽しんでいます。

病気が
しみじみとした時間の大切さを教えてくれたことに
感謝しています。

☆5/19(日)の講演会&コンサートのお知らせです。
残席残りわずかです

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天国にいる人、地獄にいる人

誰も
天国がどんなところか
地獄がどんなところかを
見た人もいないし
はっきり語る人もいません。
でも
こんなところであろうという話が
仏教の例え話にあります。

それを今日、ご紹介します。

あるところに天国と地獄がありました。
天国と地獄は離れたところではなく
すぐ近くにあります。

そこに多くの人が集まって暮らしています。
そして、
みんな集まって食事をするきまりになっています。
食事方法は少し独特なんです。

ふたつの大きな釜があり
その釜の中にはたくさん食べ物があります。
食事の時間になると
天国チームと地獄チームに分かれて
その釜を囲みます。
そしてひとりひとり箸をわたされます。
渡された橋は、なぜか150cmもあるのです。
これは、天国の人も地獄の人も条件は同じです。

地獄チームの住人はまず、
誰もが自分の食べたいものを我先にとって、
自分の口に入れようとします。
しかし
箸が長すぎて、うまく食べることができません。
他の人も自分の皿に食べ物をとって生きますから
みんなどんどん焦り始めます。
「俺の食べ物だ」「お前は欲張りすぎだ」と
ついに、争いが始まってしまうのです。

これに対して、天国チームの人は
自分の箸を使って
目の前にし植わっている人の口に
食べ物を運びます。
つまり、お互いがごはんを食べさせあって
みんな口口に
「おいしいね」「ありがとう」
「次は僕があなたにとってあげる」と
こうして笑顔の食事が続くのです。

これも、ひとつの例え話だけど
譲り合い、自分以外のことを考えことができる人が
天国に行けるのかもしれません。

自分のしあわせのことばかり考えていても
自分は決してしあわせになれないことを
この例え話は教えてくれているのだと思います。

☆5/19(日)の講演会&コンサートのお知らせです。
残席残りわずかです

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