“ありがとう”と言えば
みんな笑顔になる
だから
”ありがとう”は
しあわせの呪文
”大好き”と言えば
出会った人が
みんな笑顔になる。
だから
”大好き”も
しあわせの呪文
”ありがとう”
”大好き”は誰でも使える
しあわせの呪文
今日もしあわせの呪文で
自分のまわりを
みんなを
しあわせいっぱいにしたい
“ありがとう”と言えば
みんな笑顔になる
だから
”ありがとう”は
しあわせの呪文
”大好き”と言えば
出会った人が
みんな笑顔になる。
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”大好き”も
しあわせの呪文
”ありがとう”
”大好き”は誰でも使える
しあわせの呪文
今日もしあわせの呪文で
自分のまわりを
みんなを
しあわせいっぱいにしたい
平安時代から
9月9日は重陽の節句と言われ
大変めでたい日と考えられてきました。
この日は宮中行事として
邪気を払うとされた菊の花を観賞しながら
菊の花弁を浸けたお酒を吞み
不老長寿を祈願していたそうです。
菊と言えば
皇室の紋章でもあると同様に
日本の国花でもあります。
菊の花には
邪気を払うパワーだけでなく
邪気を寄せつけないパワーがあるともいわれ
仏壇やお墓に供えると
結界を張るというくらい
強いパワーがある花といわれています。
菊には
食用の花もあり
食べることで邪気も祓うことが出来ます。
菊の花を食べるのが苦手という人には
この時期に出てくる
緑のみかんは早生みかんといわれ
邪気を祓う力があると言われます。
この時期緑色のみかんをみつけたら
買って食べられると
からだがスッキリしますよ。
これは、お釈迦様がこの世に生まれた時
東西南北に七歩ずつ歩まれ
右手で天を、左手で地を指されて
述べられたいう言葉です。
直訳すれば
この世界で我よりも尊い存在はない
という意味になるのでしょう。
それが、お釈迦様が生まれた時の言葉となると
お釈迦様自身のことを
言っているようにもとれます
が、自尊心というものは
誰のこころのなかにもあります。
自分を尊いものだと思うと
自分のいのちは粗末にしてはいけない
授かったいのちを大事にして生きようと
いう気持ちが生まれてきます。
そして
この気持ちは自分ひとりの気持ちではなく
あなたの周りの人も
尊いいのちをもって生きているのです。
ですから
この言葉は、お釈迦様自らのことを
言っていると言うより
自分自身を大事にして生きると同時に
周りの人も大事にして生きて生きなさい
と教えて下さっている
言葉だと感じるのです。
どんな時代になっても、その時代にあったお金儲けの方法はあります。
そして、必死で働かなくても、楽にお金を儲けたいという
人の欲望に火をつける甘い囁きに惑わされることもあるでしょう。
現代でも、「アフィリエイトや株式投資などの副業で
楽々成功する方法を教えます。」という
動画や文字がパソコンを開ければ、目に飛び込んできます。
そんな文字が目に止まると、ネットを使って楽に稼いで、
好きなことができたら・・・という幻想の夢を描きだしてしまうのです。
ここで、覚えていて欲しいのは
お金を稼ぐことと、特にどんな方法であれ
お金を稼げればいいという生き方は、その代償として
「虚しさ」の気持ちが生まれるということを知っていて欲しいです。
ですから、お金を稼ぐ手段を選ぶ時に
その稼ぐ方法が、自分の求めているアイデンティティーと一致していないと
”虚しさ”を感じてしまいます。
そしてその”虚しさ”を
お金を稼ぐことで解消しようとしてしまい
どんどん”虚しさ”が増すという悪循環が生まれてしまいます。
お金を稼ぐことは多大なエネルギーを消費することも知っていて欲しいのです。
多大なエネルギーを浪費して手に入れたものが、
自分をしあわせにしてくれるでしょうか?
人間は飽きてしまう生物です。
気がついた時にはエネルギーも消費してしまい、
身も心もボロボロになっているということを経験したという人は
読者の方も多くいらっしゃるのではないでしょうか?
ここで、はっきり言いましょう
お金を儲けるだけでは、みなさんをしあわせにしてくれません。
それは、お金でからだ(肉体)を満たせても
こころ(魂)までは満たせないからです。
お金で満たされるしあわせは、快楽という肉体的なしあわせ。
お金だけではこころ(魂)は満たされないのです。
お金を稼ごうと進むときには、
自分のしあわせの軸を見失わないようにすることが大事なのです。
自分の求めている、心から求めているしあわせな人生とは・・・・
それを満たすためにお金を稼いでいくのです。
人生において
教養はないよりも
あった方がいいと思います。
理由は
教養がある方が
人生が豊かで楽しくなると思うのです。
人生を料理に例えると
まずい料理よりも、美味しい料理を
食べたいと思うことでしょう。
同じ材料でも美味しい料理になるかどうかは
同じ料理でも
いい材料を使ったり
こっそり隠し味があったり
火加減、混ぜる時間など
調理法にちょっとしたコツ、工夫が
同じ料理でも
美味しくなるかどうかの決めてになるのです。
この料理を人生に例えると
色んな食材は知識
隠し味などの調理方法が考える力ではないでしょうか。
材料である知識がないと
料理はできません。
材料があっても、その材料を使いこなす力
考える力がないと
折角の材料は宝の持ち腐れになってしまいます。
知識と考える力を掛け合わせたものが教養であり
教養が人生を美味しくする素になるのではないかと
思います。
佐藤浩市、横浜流星W主演の映画を観た。
映画の内容は
映画によくある
あるあるの
昔ボクサーで、悔しい経験し
その傷を癒やせないまま
生きていき、最後の人生を
どう悔いなく生きていくかを苦難する
老コーチが
今を生き抜きたい若者と共に
いのちを削りながらも
ボクシングにかける姿を追った映画。
なんか最後の展開は
予想できてもいても
役者さんの演技に引き込まれて
最後はじわっと感動する映画だった。
僕たちに
いのちを賭けて生きる場面って
そんなにあるわけじゃないけど
人生では、いのちを賭ける場面が来るかもしれない。
そんな時にきっと思い出す映画だった。
親は
こどものためを思って
こどもの危険を回避するためを思って
こころを鬼にして
こともに対して怒る場面は
必ずあります。
怒った後
これでよかったのかな?
言い過ぎではなかったか?
感情的になっていなかったk?
など反省ばかり
怒る親も怒っていい気分はしません。
怒らないに超したことはないけど
怒りに振り回されないように
気をつなくてはいけません。
古代ギリシャのアリストテレスが
次のような言葉を遺しています。
「怒ることは誰にもできる。
しかし、
適切な相手に、適切な程度に
適切な目的で、適切な形で
怒ることは容易ではない」
と語っています。
この言葉を肝に銘じて
こどもに対さないといけないですね。
昨日初めて当院を受診した8ヶ月の女の子
クリニックの玄関を入ってから
ずっと病院中に響く声で泣いてる。
体調がかなり悪いのか、人見知りの激しい赤ちゃんなのか、
診察室で診察していても、泣き声が気になって、
時折集中力が途切れそうになった。
そして、
その赤ちゃんの診察。
問診の時も、診察の時も、もっと激しく泣き叫ぶ赤ちゃん。
例え相手が泣き叫ぶ赤ちゃんでも、
きちんと診断、治療するのが小児科医の醍醐味。
この赤ちゃんに対しても診断し、治療決定、
家庭での注意点、お母さんの疑問点を整理し、
自分の力を出し切り診療を終了した。
診察室を出る時
お母さんのホット安心した表情が印象的だったけど
もっと、びっくりしたのは、
あんなに泣いてたはずの赤ちゃんがピタッと泣き止んで、
微笑むような表情でこちらを向いていたこと。
その赤ちゃんに「先生、ありがとう」と言われた気がして
診療に納得してもらえたと、ちょっぴりうれしくなった。
8ヶ月の赤ちゃんでも、言葉が例えわからなくても、
思いは確実に伝わるんですよ。
赤ちゃんは、ちゃんとおとなの声を聞いています。
だから、いっぱい赤ちゃんに話しかけてあげてください。
赤ちゃんもいっぱいお父さん、お母さんのお話しに
答えてくれますよ。
どんな心配なことがあっても、
まずは
赤ちゃんと向き合うことが、
あわてない育児に繋がるのかもしれませんね。
こどもの時、誰もが
”人のために何かしたい”
”大きくなったら、多くの人に喜ばれることをしたい”
と心に描くことでしょう
そして、志高く
お金をいっぱい稼いで、多額の寄付をしよう
困ってる人がいる地域に行ってボランティアをしよう
世の中をかえるような発明をしよう
・・・・などと夢を描くことでしょう。
でも
大きくなると
お金がないと寄付ができない
時間がないと、ボランティアもできない
チャンスや能力がないと大きな発明なんてできない
・・・・と
段々志がしぼみだします。
そして
”だから、自分には与えられるものは何もないんだ”と
思ってしまうかもしれません。
そんな時
ちょっと、自分の身の周りを見渡してみましょう。
自分の身の周りの人々に目を向けてみましょう。
元気よく挨拶をしたら
笑顔が返ってきませんか?
トイレや洗面所の汚れを拭いたら
みんな気持ちよく使っていませんか?
部屋の整理整頓をして
ちょっと花を置いたら
何だか居心地の良い空間になっていませんか?
日常生活の中で
自分が与えられるもので
まわりの人が喜んだり
人間関係がよくなったりすることって
ありませんか?
大きなことでなくてもいい
小さなことでいいから
人知れず、そっと人のために
何か親切なことをしてみる。
この行動は
してあげるという与える行為だけど
実は
自分の気持ちを温めてくれます。
そして
しあわせな気持ちにさせてくれます。
そのしあわせな気持ちは
もっと、もっと
大きなしあわせな気持ちになり
周りの人に伝わっていきます。
小さな親切でも
自分も周りの人も
しあわせな気持ちにさせてくれるのです。
そして
ますます
親切にする気持ちがわいてくるから不思議です。
人知れず、ささやかに
いつも親切にするだけでも
世界中の人がしあわせにできるのかもしれませんね。
現代人以上に、運を大事にしたのは
常に死と向き合って生きていた戦国武将ではないでしょうか?
現代でも人気のある真田幸村は、
それを示す、こんなエピソードが知られています。
関ケ原の戦いで敗れた後、徳川家康より
高野山の麓にある九度山の村に24時間監視されながら
14年間蟄居生活の後、九度山を脱出して最後の豊臣家の戦い
加わることを決意したのです。
脱出をもくろんだ真田幸村は大宴会を開いたのです。
その宴会は大盛り上がり、
皆が酔いつぶれたすきに脱出したという史実が残っています。
が、実際は宴会に参加した人の中には
酔いつぶれたふりをした人がいたともいわれています。
厳重な監視下に置かれた幸村が脱出できたのは
脱出に協力した人がいたから実現できたのです。
味方がいたのは、真田幸村がきっと
周りの人を大切に思っていた人物だったから
村の人からも大切にされていたのではないでしょうか?
幸運は人が運んでくるということを教えてくれるエピソードです。