自分の得意を磨く

 

さて、今日は自分の人に対してできる
得意な事ってなんだろうか?と
考える機会をいただきました。

自分の得意なとこって
点数がつくものでもないし
人と比較するものでもないから
なんだろう???

自分の得意なところって
自分がもっと磨きたい長所
自分がもっと自分らしくなれるところかな?
って考えると

自分らしく磨いていきたいところは
”初めてお会いした方にでも
自分の良さを感じ、伝えること”じゃないかな?
と思いました

最近色々な役をもらい
様々なところで、色々な方にお会いし
ご挨拶させていく機会が増えました。

そしてお会いした後、うれしいことに
”元気がでました””楽しくなりました””パワーをもらいました”など
POSITIVEな言葉をいただくことが度々あります。

ただごあいさつしただけなのに
どうして?本当にそうなの?と思っていたら
そんな時僕が人と話をしているところの状況を、
説明してくれた方がいました。

その方が言うには
「普通ならど聞き流してしまうような話でも真剣に聞いているね。
そして、いつも笑顔だから、話している人が、
どんどんうれしそうにに話して、先生もニコニコして
二人ともとっても楽しそうだよ」と。

僕がしていたのは、ただただ笑顔で聴いていただけ。
会った人のことをもっと知ろうと、
興味を持てるところを感じて、
目の前のあなたに何かできることないかって
一生懸命に話を聞いていただけ。

その話をきいて
初めて会った人にでも
自分のことをつたえられるのかな?
それが実は自分の良さ、得意なこと
かもしれないと思いました。

日頃の診療においても
まずは患者さんの訴え、話を
しっかり聞かないといけない。
日頃から少しずつ訓練されてたのかもしれません

それは、僕の目の前の患者さんに対して
もっと知りたい、悩んでること全部話してほしい
そして
僕を通して元気になってという
日頃の診療で培われた行動。
それがいつの日か
自分の得意なところとなった
僕流のサイン、行動。

この仕事で
身につけたことを
もっと、
僕の周りの人にも伝えていきたい。
そして、
今、もっといろんな人と会って
元気にしあわせになってもらいたい。

そして
お互いのことを理解し合えれば
人と人の間にある壁を取り除くことができれば、
思いやりの心が生まれ、
どんどんしあわせのの輪が広がる。

そうすれば、
いつか必ず僕の周りにの人に平和が訪れる。
そしてその平和な世界が
僕の知らない世界にまで広がる

そんな世の中になるきっかけになることが、
ひょっとしたら
僕の小さな思いからでも
始められるかもしれない。

そんな夢を描きながら、
自分磨きをして、自分の得意をのばしていきたいです。

あなたはの得意なことってなんですか?

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十善法語

十善法語は
江戸時代の慈雲尊者という偉いお坊さんが
残した教えの中に
言葉にの四戒というのがあります。

不妄語ーでたらめを言ってはいけない
不悪口ー人の悪口を言ってはいけない
不両舌ー人に仲違いするようなことを言ってはいけない
不綺語ーおべんちゃらを言ってはいけない

この中で
3番目の不両舌というのが
目新しく、注意しないと思う。

いわゆる
その人の前ではいいことを言っても
影では悪口を言ったり
ある人には、その人のこと褒めていても
別の人には悪口を言ったり
いわゆる二枚舌な言葉だと思います。

言葉にも責任をもって
使わなければならないということですね。

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ささやかなしあわせが健康の元

どんな時に健康だと感じますか?

頭痛、腹痛などの痛みがない時
熱、咳、下痢などの症状がない時
何も苦痛に感じない時ですか?

症状がなければ
健康だと思うかもしれません。
でも
症状がないからといって
健康だとは決していえません

ひょっとしたら
その時、からだは
あなたに苦痛を感じさせないよう
病気に向かわないように
がんばっているのです。

病気に向かっているかどうかなんて
中々気づけないもの
今、健康かどうかって判断するのは
実はとても難しいのです

からだに問いかければ
健康かどうかチェックする
簡単な方法があります。

今日目が覚めたとき
「ああ、よく寝た」とすっきり目覚めましたか?
お腹が空きましたか?
そして
ごはんを食べておいしいと思えましたか?

よく寝て、よく食べて
一日を過ごせましたか?

そう感じれていれば
たとえ病気があったとしても
からだは健康に向かっているのです。

逆に
病気がなくても
眠れない、食事がおいしくない・・・・
と思えるときは
病気に向かっているので要注意です。

朝すっきり目覚めて
おいしいものを食べて過ごすって
とてもささやかだけど
しあわせな時間を過ごしていると
感じませんか?

ささやかなしあわせを
感じて生きること。
ささやかなしあわせを積み上げていけば
こころから健康だと思える
日々が過ごせます

 

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ことばは釘穴とおなじ

「ことばは釘穴と同じなんだ」
という言葉を聞いた。

つまり
人を責めたり、叱ったり、皮肉ったり・・・
人は色々ことばを発するけど
間違ったと言って
取り消したり謝ったりしても
相手の心には一度発した言葉は
しっかり残ってしまう。

そう
間違って打ち込んだ釘を抜いて
正しく打ち直しても
最初に打ち込んだ釘の穴が残るように。

何気なくいった言葉
冗談としていった言葉
感情的になっていってしまった言葉は
その人にとって本気でなかったとしても
一度発した言葉は
相手の心に届いてしまったら
元にもどせない。

言葉を発する時には
よく考えて発しないといけない。

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歌われなくなった仰げば尊し

最近、テレビでよく
昭和の歌(歌謡曲)を特集した番組が
よく放送されるので
学生時代の思い出を思い出しながら
観て
また令和の時代に昭和の歌を
知ってもらえることが
うれしく思うのですが

僕たちの昭和の時代によく歌い
思い出が詰まった歌の一つに
「仰げば尊し」があります。
この歌は
小・中・高校の卒業式で歌い
学生時代過ごした思い出を分かち合い
未来に向かって進んでいこうと
誓い合った歌。
今もその時のことを思い出させる
いい歌なのに
今は歌われなくなったらしい。

なぜなのか?

その理由は
現在の先生と生徒の関係にあるらしい。
先生と生徒の関係は対等であり
先生を仰ぎみるということは
今風に言えばあり得ないことらしい。

本当に対等でいいのかと
昭和の時代を生きてきた
自分は思ってしまうのです。

親になった時
卒業する我が子の背中をみた時に
親は様々な光景を思い出すことでしょう。
一年生になって
泣きながらも家をでた不安な表情をした
我が子の後ろ姿に見送った日々。
打って変わって元気に返ってきた我が子の笑顔。
様々なこどもの表情を思い出す。

笑顔と感動の涙で旅立てるのは
多少の不満があったとしても
それは先生のおかげ、
忘れてはいけない
我が師の恩なのである。

その恩を含んだ
多くの思い出が仰げば尊しの
歌詞とメロディーを聞く度に
思い出される。

そういう意味で
大切にしたい歌である

今日から3月。
本格液な卒業シーズンを迎え
「仰げば尊し」
今年はどれだけ歌われるのだろうか?

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今を生きればいい

人間が後悔するのは
過去を思いだしてしまうから。
人間が不安になるのは
未来を考えてしまうから。

過去や未来ではなく
ただ今だけに意識をむければ
こころは満たされて
後悔や不安は弱まっていく。

今感じているものを
大事にして生きていけば
過去に悔いることも
未来を畏れることもはいはず。

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立つ鳥後を濁さず

人生の終末を考えた時
美しく人生を閉じたいと
誰もが思うと思います。
そのためには
人生の終末を意識し始めたら
できるだけ善行を積んだ方がいいと
思うのです、

つまり
立つ鳥後を濁さずというように
きれいな終わり方をした方が
人々の記憶の中で
美しく生き続けることができる
からです。

アメリカのイエール大学の
ジョージ・ニューマンは
人生のバイアスということを
言っています。

これは
例え若い時に、悪いことをしていたとしても
人生の終わりが立派であれば
その人は立派だったと受け止められるのです。
逆に
いくら死ぬまで立派なことをしていても
死ぬ間際に
悪事が発覚すれば
その人の評価が
地に落ちてしまうと言うことは
よく聞く話でもあります。

インドの独立の父といわれている
ガンジーも
若い頃は、やんちゃで知られていたようですが
こころ改めて
最後はインド国民のために
いのちまで捧げ、今でも
世界中から尊敬の念を送られている人物です。

人生の終盤にさしかかれば
善行を意識して生きていきましょう。

立つ鳥後を濁さず
終わりよければ全てよしなのです。

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聞き役に徹する

年を重ねていくと
それなりの経験をするので
その経験を
自分だけのものにするのではなく
この経験を人に、特に若い人に
伝えたくなり
ついつい多弁になってしまうこともあります。

でも
これから自分がどれだけのことが
経験できるかと言えば
どう頑張っても
これからの人生の時間や活力は
これまで通りにはいけないし
世の中には
自分が経験してないことを
山ほど経験している人がいる。

だからこれからは
多くの人の話に耳を傾け
聞き役に徹し
自分の経験とコラボしたら
大きな何かをまだまだ生まれるかもしれないと
思うのです。

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好きなことの嫌い

さて、今日は好きでやってる仕事でも
その中に好き嫌いはないですか?
好きな仕事の中にある嫌いなことについて
考えてみました。

実は僕は注射をするのもされるのも大嫌いです。
だから、こども達にも注射はできるならしたくない。
でも
自分は医者だから、
嫌いでも注射をしないといけない場面があります。

注射をする時こども達は、
僕のことを悪魔か鬼に見えているかもしれない。
こどもの笑顔を守るのが小児科医なのに、
目の前のこどもを悲しませてしまい、
医師としての思いに矛盾した行動に戸惑うこともあります。

でもその時、心の中の医者の良心が叫ぶんです。

”この注射をしないと、もっとこの子を悲しますことになるよ。
命を奪われてしまうことになるかもしれないよ。
そうなってもいいの?”

僕は我に返るのです。

今僕が逃げてしまうと、
誰がこの子を救うの?この子を救えるのは僕しかいない。
ひるんだ心を、医者の良心が一瞬で追い払い、
”この子にどう思われてもいい、

目の前の子どもが早く元気になることを、
笑顔で過ごせること”を願い注射をします。

終わった後は、不思議と一瞬で空気が変わります。

こども達の気持ちが僕の心に伝わってきます。
僕は、こどもの頑張りに応えるために、
最高の笑顔でこどもを送り出す。

注射をしたこどもたちは、また受診する時、
注射をされるかもとおびえるて来院されることはあっても、
先生は嫌いと言われたことはありません。

注射がないと分かれば、安心して診察を受けてくれます。
注射を打つ時は
僕のことを鬼と思ったかもしれないけど、
鬼ではないんだねと
お互い安心して診療が始まります。

これは、仕事上の嫌なことの話だけど、
注射の時の問題だけでなく、
日常生活でも、目の前の人が、
今嫌がってることでも、
心を鬼にして行われないといけないことは
あるのでは4ないでしょうか。

その時は気づいてもらえないかもしれない、
理解してもらえないかもしれない。
でもその時に相手を思う心は、必ず伝わると思うのです。

嫌な事でもだから、
いいことはもちろん伝わる。

だから、
いつも目の前の人のしあわせを念じて接することが
大事なのだと思う。
そうすれば
しあわせな関係が生まれる、
しあわせの絆が広がるのだと思う。

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かつてテレビドラマのセリフで
「人という字は
人と人が支え合っている姿を
表している」
がありました。

確かに
棒に見立てた二人の人間が
支え合っているようにもみえるけど
ちょとうがったみかたをすると
「支え合っているように見せかけて
長い棒が短い棒の方に寄りかかっている。
長い棒の方が楽をして
短い棒は苦労している」
と見えると。

確かにそう言われれば
そう見えてきます。

どんな見方をしてもいいのですが
この人の字はをみて思うことは
確かに
人と人は支え合って生きている存在なんだ。

これは
僕にとっても言えること。
医者として診療していて
患者さんの病気を治して
患者さんを支えて働いているけれど
患者さんを診ることで
僕は生きることができる。

自分の
誰かの役に立ちたいという気持ちを
患者さんから頂いている。
だから
次の患者さんに対して
また向き合う力を持つことができているのだということ。
つまり
僕も患者さんに支えられて
生きているのだと言うことに気づいた。

そう言えば
ブラックジャックも次の様に叫んでいた。

「それでも私は人を治すんだ。
自分が生きるために!」

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